キャスリング 鴫山城編

会津鉄道会津線会津田島駅から南に700m、10分歩くと鴫山城跡の麓に着きます。

車の場合、国道121号線から南に100m入った所に、画像の案内看板があります。

築城時期は不明ですが、南会津を支配していた長沼氏が築城したとされています。

そこから暁の星幼稚園を過ぎると砂利の駐車スペースがありました。案内地図看板を見ると東側と福島県合同庁舎(旧南会津郡役所)に駐車場があります。

上千畳まで15分~20分ほど、山頂まではそこから30分と麓から約1時間の道のりです。今回は日没なので麓周辺の散策だけです。

1509年 長沼氏は下野国まで勢力を拡大しましたが、宇都宮城主の宇都宮成綱に攻められ下野国の領土を失いました。

愛宕山に築かれた鴫山城は、麓の屋敷、山腹の内郭、山頂の詰め城と構成されています。

1521年 長沼氏は黒川城主の蘆名氏と戦い、鴫山城を落とされ蘆名氏の支配下に置かれました。

案内看板の鴫山城の図が分かりやすいですね。

1589年 摺上原の戦いで蘆名氏が伊達政宗に滅ぼされると、鴫山城主の長沼盛秀は伊達政宗に恭順しました。

幅14m、深さ4mの空堀は虎口部分で喰い違いをしている構造となっています。

1590年 豊臣秀吉の奥州征伐で伊達氏は出羽国に異動となり、長沼氏も一緒についていきました。その後、蒲生氏郷家臣の小倉行春が6300石で入城しました。1598年上杉景勝が会津に入ると、直江兼続の弟の大国実頼が城代となりました。

1600年 関ヶ原の戦い後、小倉行春が再び城代となり、1627年加藤嘉明が会津に入ると鴫山城は廃城となりました。

大手門である大門の石垣や堀などの遺構がよく残っています。次回は山登りにチャレンジしたいと思います。麓部分だけで20分のキャスリングでした。



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