キャスリング 彦根城編(国宝5城・現存天守12城・日本100名城)

JR東海道本線彦根駅から西に1キロ、15分歩いた所に彦根城があります。

車の場合は、大手前駐車場(25台)桜場駐車場(70台)二の丸駐車場(40台)がありますが、土日なると混雑しますので早めに来ることをお勧めします。駐車料は1回400円です。

1600年、関ヶ原の戦い後、徳川四天王の一人である井伊直政は、石田三成の居城だった佐和山城に入城しました。しかし古い縄張りと敵であった石田三成の居城を嫌い、お城を移す計画でしたが病死します。

敵の横移動を阻止する為の登り石垣も見物です。

1603年 家老の木俣守勝は徳川家康と相談して、井伊直政の遺志を継ぎ彦根城を築城します。

彦根城・玄宮園・博物館のセット券は大人1500円です。せっかくですからとことん周ります。100名城スタンプは開国記念館にあります。

天下普請として彦根城築城が開始され、1622年に完成します。

まずは博物館から入ります。明治維新で破却され、1987年復元された表御殿は、彦根藩の藩庁でした。

1633年 徳川家の譜代大名では最高の35万石で、彦根藩井伊家は14代続きます。

博物館の中央には、江戸時代の能舞台があり、日により能や狂言が行われています。機会があれば見てみたいですね。

明治の廃城令で全国のお城が取り壊されますが、明治天皇が彦根を巡幸した際に、彦根城の保存を命じた為、破却を免れました。

表御殿は、政務や公式行事を行う「表向」と日常生活の「奥向」の空間から成り立っています。

彦根城を中心として、文化が育まれました。歴代藩主の井伊家の美術工芸品や茶道具、書、絵画などが展示されています。

大坂の陣で奮戦する赤備えの井伊直孝合戦図です。

藩主から家臣まですべての甲冑は朱漆塗りで、兜に金色の天衝をつけるように定められていました。

それではキャスリングスタートです!左手に人工の断崖の山切岸を見ながら、表門坂を登っていくと廊下橋があり、非常時には落とし橋になり敵の侵入を阻みます。

廊下橋をくぐると鐘の丸がありますが、鐘の丸の石垣調査と修復と佐和山城から持ち込まれた石垣の案内看板があります。

彦根城で最も早く完成した曲輪の鐘の丸は、鐘楼があった事からこの名前になりましたが、音が下に届かず、太鼓丸に移設されたようです。ここには、大広間や御守殿がありましたが、彦根藩江戸屋敷に転用されたと言われています。

重要文化財の天秤櫓は、長浜城の大手門を移築したと言われています。左右に二重の隅櫓があります。

天秤櫓の左(西)と右(東)で石垣の積み方が違います。左側は切り込みハギ、右側は打ち込みハギになっています。左側は1854年に修復したので、新しい積み方の切り込みハギ方式になっています。

天秤櫓をくぐると太鼓丸になります。太鼓丸の調査の際には、伏見城と同じ瓦が出土され、佐和山城との関係が裏付けになるかもしれません。

天秤櫓の内部が見学できます。

天秤櫓内部です。

太鼓丸から本丸に向かう途中には、太鼓門と続櫓があります。

本丸表口の重要文化財の太鼓門の裏側は、高欄付の開放された廊下となっており、珍しい造りをしています。

太鼓門をくぐると「ひこにゃん」がお出迎えしてくれます。

三階三重の天守は大津城の天守を移築したと言われています。切妻破風、入母屋破風、唐破風がふんだんに使われ、お洒落です。国宝の多聞櫓、付櫓から天守へ入城します。

付櫓から天守1階へ上がります。鉄砲狭間があります。

2階から3階へと上がります。

破風のスペースを活かした隠し部屋は4人ぐらい入れそうです。3階の最上階は、天井板が無く小屋組みが良く見えます。唐破風のような形の立派な梁です。

花頭窓から東方向には、石田三成の居城だった佐和山が見えます。人の思惑、時代の流れが垣間見えます。北西には西の丸の三重櫓と琵琶湖が見えます。

現存天守あるあるですが、階段が急なので気をつけて下さい。多聞櫓の腰壁は分厚い二重壁になっています。

本丸南側には二階櫓の着見櫓がありました。東側の佐和口、南側の京橋口の監視を担っていました。

着見櫓から北側を見ると、石垣が屈折しています。天守の西側から北側の三の丸へ進みます。

三の丸の北には三重櫓があり、櫓内を見学できます。東方向と南方向のL字型の多聞櫓と中心に三重櫓で構成されています。1、2階は攻撃用、3階は見張り用でした。

1853年江戸時代後期に大部分が修理されました。

三重櫓の下は大堀切と出曲輪があります。出曲輪の東側に登り石垣が続いています。

出曲輪の石垣は穴太衆が築き、出曲輪は馬出しとしての機能を担っています。出曲輪から見る三重櫓、多聞櫓も迫力があります。

さらに北に進むと観音台手前で下に下がります。道を折れ南に向かうと三重櫓、大堀切につながる登り石垣があります。登り石垣があるのは、松山城、洲本城とここ彦根城です。(城郭検定2級出題)

東の黒御門跡から内堀を渡り、玄宮園へと進みます。

1677年 第4代藩主井伊直興が築いた下屋敷は、総欅造りの槻御殿です。ここで井伊直弼が生まれました。楽々の間や地震の間(城郭検定2級出題)があるので楽々園とも呼ばれています。

槻御殿は、北側の楽々園、南側の玄宮園に分かれています。

第4代藩主井伊直興が築造した玄宮園は、中国の唐時代の玄宗皇帝の離宮が名前の由来です。池「魚躍沼」に映る臨池閣と彦根城天守が美しいです。

鳳翔台と呼ばれる茶席もあり、優雅な時を過ごせます。

玄宮園には水田も造られ、五穀豊穣を祈願する田植え神事が行われていました。岡山藩池田氏の後楽園や多くの大名庭園で同様の事が行われていたそうです。

玄宮園を出て桜場駐車場横を進み佐和口に向かう途中で、井伊直弼像があります。1850年彦根藩主となり江戸幕府の大老になりましたが、桜田門外の変で暗殺されました。

裏御門跡の石垣を見ながら内堀沿いを南に進むと、家老木俣屋敷跡があります。職場は西の丸の三重櫓で琵琶湖の警備、監視に務めていました。

佐和口多聞櫓の東側に開国記念館があり、ここに日本100名城スタンプが置いてあります。入場無料で展示品もありますので、見学していきましょう。

開国記念館の西側には、重要文化財の二の丸佐和口多聞櫓があります。1767年に火災で焼失し、1769年から再建されました。多聞櫓と開国記念館側の多聞櫓の間の佐和口(道路部分)には櫓がありましたが、明治時代に失われました。

佐和口多聞櫓から二の丸駐車場に戻る手前に、日本で唯一残る重要文化財の馬屋があります。(城郭検定2級出題)

二の丸駐車場に戻ってきました。表御門から見る鐘の丸に続く登り石垣は迫力があります。

彦根城の原点を考えた時、大河ドラマ井伊直虎を思い出しました。今川氏や徳川氏の時代に翻弄されながらも、強く生き抜いた井伊氏に思いを馳せながら、約5.4キロ、90分のキャスリングでした。次は能舞台で能を見る事を目標にまた来たいと思います。



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