キャスリング 相馬中村城編

JR常磐線相馬駅から南西に1.2キロ、16分歩くと相馬中村城に着きます。

車の場合、常磐自動車道相馬インターから北東に2.1キロ、4分ほどで着きます。大手一ノ門の隣に無料の駐車場があります。(馬陵公園駐車場)

(2020年2月キャスリング)


800年頃 坂上田村麻呂が奥州鎮撫の為に、城を築いたのが最初とされています。

相馬義胤が武蔵国川越城の城番だった時に、門の堅固さに憧れて模した外大手一ノ門があります。

1337年 この地を支配していた中村朝高が中村館を構え、戦国時代初期まで支配しました。

門をくぐると枡形になっており、中の門跡を通ると、南二の丸になります。

1563年 相馬隆胤が中村城に入城します。相馬氏と伊達氏が覇権を争う最前線の支城として中村城は機能しました。相馬氏の本城は小高城になります。

南二の丸から左右の内堀を通り、東二の丸に向かいます。左手の小高い丘が本丸になり、土塁の上に石垣がある鉢巻石垣が見えます。

1600年 関ヶ原の戦いで、佐竹氏の配下にあった相馬氏も改易となりましたが、相馬利胤が改易撤回を直訴し、所領を安堵されました。その裏には、本多正信や伊達政宗のとりなしがあったそうです。

東二の丸には、御殿や藩主の邸宅がありました。そこから丸土張(馬出)を通ると赤橋があります。

1611年 相馬利胤は、本城を小高城から中村城に移し、中村藩6万石が成立しました。門や櫓、天守など近世城郭として改修を行いました。

案内看板の所にパンフレットが置いてありました。赤橋を渡ると本丸です。

1659年 中村藩は外様大名から譜代大名並みの扱いを受けます。

本丸には、相馬神社があります。

1670年 落雷により天守が焼失しましたが、4代藩主の相馬貞胤は藩財政の考え、天守の再建をしませんでした。

1868年 戊辰戦争では、磐城平藩や仙台藩とともに、奥羽越列藩同盟に入りました。しかし、戦況の悪化などで同盟から離脱し、新政府軍の奥州鎮撫総督の四条隆謌が中村城に入城しました。

本丸の西側の西二の丸には、相馬盛胤の隠居所もあったそうです。その他に家臣屋敷や米蔵などがありました。

1871年 廃藩置県で中村藩と中村城は解体されました。

相馬氏は平氏一門の名家で、鎌倉時代の平泉遠征以降、この地を740年間治めました。鹿児島の島津氏、人吉の相良氏、青森の南部氏同様に、長い統治を行った一族でした。

約40分のキャスリングでした。



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