キャスリング 花園城編

JR八高線、秩父鉄道、東武東上線寄居駅から西に2キロ、25分歩くと花園城の登城口がある諏訪神社に着きます。

車の場合、諏訪神社を目指すと良いと思います。但し、近くに駐車場はありませんでした。地元の方のご厚意で停めさせて頂きました。(2020年3月キャスリング)


諏訪神社で登城の安全祈願を行い、右手にある登城口からキャスリングスタートです!ここから本丸まで20分ほどです。山道を5分歩くと巨大な竪堀が出てきました。あまり整備されていないので、獣道にピンク色のリボンが木に結ばれているので、目印にして下さい。

築城時期は不明ですが、平安時代末期に、武蔵七党の猪俣党に属する藤田政行が築城したとされています。

巨大な竪堀は南北に4本あるらしいですが、登城口から西に移動しながらなので、東から3本目の竪堀だと思います。竪堀沿いに道があるので、上に上がっていきます。

戦国時代、藤田氏は関東管領の山内上杉氏の従っていました。

3分ほど歩くと右手に曲輪が出てきました。その曲輪の周りは土塁や堀があり石塁も積まれていました。このような曲輪が数多くあるそうです。

1546年 北条氏の河越城攻め(河越夜戦)などで北条氏は勢力を伸ばし、藤田氏は北条氏の降りました。北条氏康の四男の氏邦を養子に迎えて、ここから西に5キロの所にある天神山城に入りました。

さらに上がると巨大な横堀が出てきました。本丸の周りに張り巡らされた堀だと推定しました。縄張り図を持っていきましたが、この時はいまいち確証が持てませんでした。自分で想像する事も楽しいとこですね。

1560年以降は、鉢形城を整備し、鉢形城の支城として機能しました。

スタートから20分で主郭(右手)と郭2(左手)を分断する大きな堀切が出てきました。

1590年 豊臣秀吉の小田原征伐により、前田利家、上杉景勝、真田真幸に攻められ、鉢形城同様に花園城も開城になったとされており、そのまま廃城になりました。

本丸を上がると所々に石塁が積まれて防備を固めていました。帰りは西側の竪堀沿いに帰りましたが、道に迷ったので来た道で帰るのが無難でしょう。

一説では、北条氏邦が鉢形城に入り、藤田康邦の隠居城として使われた説もあるそうです。

なんとか下山しました。秩父鉄道の踏切を渡り振り返ると花園城の全景です。

戦国争乱の真っただ中にあった時代もありましたが、現在はゆっくりと時間が流れていました。1.5キロ、約1時間のキャスリングでした。



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