キャスリング 若松城編(日本100名城)

JR只見線、会津鉄道線西若松駅から東に2キロ、25分歩いた所に若松城があります。

車の場合は磐越自動車道会津若松インターを降りて、南に5キロ15分走ると鶴ヶ城公園西出丸駐車場に着きます駐車料金は、最初の2時間300円です。

駐車場からはお堀が見えお城に西側からキャスリングスタートです!

1384年 蘆名直盛が館を造ったのが若松城のはじまりとされています。

1589年 伊達正宗が豊臣秀吉の指示を無視して若松城を攻めました。

1592年 蒲生氏郷が入城し、縄張り、石垣、城下町を整備します。

梅坂を上り虎口を曲がると目の前に若松城が現れます。復元ですが優美な層塔型です。

大手門の渡り櫓などへ簡単に移動する為の武者走りです。

本丸帯廓に通じる枡形の埋門です。築城当時は表門でしたが、加藤時代になってからは裏門になりました。

埋門の奥に切符売り場があります。入城料は、大人410円です。

1598年越後国春日山城から上杉景勝が入城します。

1600年 関ヶ原の戦いで上杉景勝は米沢に異動、伊予松山から加藤嘉明が入城します。

1611年 会津地震で天守が崩壊し、現在の層塔型天守に建て替えしました。

1643年 加藤氏が改易となり、会津松平家がの居城となります。

天守の中は5階まで展示室となっており、会津の歴史を勉強する事ができます。撮影禁止部分が多いので注意して下さい。

天守閣から北東を見ると飯盛山が見えます。

天守閣から南を見ると鉄門、食料庫だった干飯櫓が見えます。更に向こうに見える、ふたこぶの山は若松城の詰の城だった向羽黒山城のある羽黒山、岩崎山が見えます。

1階に下りると売店があります。出口付近に、100名城スタンプが置いてありました。

芝生の綺麗な本丸跡と1868年戊辰戦争の籠城中、松平容保が指揮していた鉄門です。反時計周りに本丸を周っていきます。

干飯櫓近くには馬洗い石、南東側の月見櫓近くには、荒城の月を作詞した土井晩翠の碑があります。戊辰戦争で荒廃した鶴ヶ城をきっかけにして作詞されたと言われています。

月見櫓は多方向から攻撃できる横矢がかりになっています。主に会議に使われていた御三階櫓跡で、会津若松市内の阿弥陀寺に移築されています。

お城北側はかつての大手門の太鼓門があります。

激動の時代に翻弄された若松城、鶴ヶ城でした。戊辰戦争から150年となる節目の年に来れて良かったです。城内は郷土博物館になっておりじっくり歴史が勉強できた、120分のキャスリングでした。

別の日の夜に来ました。會の提灯とライトアップされた若松城です。綺麗です。

(おまけ①)

西出丸駐車場を出ると西側の石垣が綺麗に見えました。近くの国道121号線沿いには、藩校の日新館跡の石碑があります。

(おまけ②)

日新館跡の石碑から350m西側には日新館の天文台跡があります。

(おまけ③)

鶴ヶ城から北東4キロには飯盛山があります。

白虎隊が飯盛山にて自刃した悲劇の地です。飯盛山からは、若松城が見えます。

らせん状のスロープで建物内を三度廻る事、西国札所の三十三観音像が祀られ一回で巡礼が済ませられる、旧正宗寺の三匝堂(さざえ堂)があります。

猪苗代湖の水を会津盆地に引く用水路の洞穴は、戊辰戦争時に猪苗代湖側の戸ノ口から冷たい水の中を潜り飯盛山に敗走しました。その後焼けている城下町を見て命を絶っていきました。

あいづっこ宣言の教えを守った若い方たちの命を無駄にしたくないものです。

(おまけ④)

会津まで来たら喜多方ラーメンですね。全国色々なラーメンを食べますが、さっぱりスープにちぢれ麺の一番好きなラーメンです。

(おまけ⑤)

若松城から南に30キロ50分走ると大内宿があります。会津城下と下野国(栃木県)を結んだ会津西街道の宿場町です。会津藩主の参勤交代、米沢藩、新発田藩も通った重要な街道でした。



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