キャスリング 烏帽子形城編

南海高野線三日市駅北に1.2キロ、17分歩くと烏帽子形城跡です。

車の場合、烏帽子形公園の南側に、10台ほど置ける無料駐車場があります。

1332年 楠木正成が上赤坂城の支城として築城したと言われ、楠木七城の一つです。(千早城、下赤坂城、小根田城、桐山城、烏帽子形城、龍泉寺城(嶽山城)、金胎城)

南北朝時代には、南朝方の楠木氏と北朝方の畠山氏の間で城の争奪戦が繰り広げられていました。

公園入口と駐車場に案内看板があります。

1555年頃 近畿に勢力を拡げた三好氏と畠山氏との争いで、三好氏が烏帽子形城を奪ったとされています。根来衆などが攻めてきましたが、落城しなかったそうです。

駐車場から3分ほどで城跡に着きます。階段の上がってキャスリングスタート!

1570年頃 烏帽子形衆と呼ばれる碓井氏、三宅氏などで烏帽子形城を奪ったとされています。

まずは堀、土塁を堪能したいので反時計回りに周ります。

1575年 織田信長は河内を平定し、烏帽子形衆は織田信長の家臣団として地域を支配しました。信長は地域の城郭の破却を進めましたが、金剛寺に対する拠点や戦略上重要な位置としてある烏帽子形城は残しました。

横堀と土塁の間を進んでいきます。信長が残してくれた貴重な遺構を堪能しましょう!

1583年 本能寺の変後の山崎の戦い、賤ケ岳の戦いで武功をたてた中村一氏は、岸和田城3万石で入城し、岸和田城の支城として烏帽子形城は運用されました。

横堀の中を歩いていくと3分ほどで本丸辺りです。

1584年 豊臣秀吉の紀州征伐の拠点として改築され、翌年に紀州は平定されました。

東西180m、南北150mの小規模な城ですが、展望台から北を見ると河内市内や遠くに大阪市内と戦略上重要な事が分かります。

1617年 甲斐庄正房が旗本として烏帽子形城に入っていましたが、維持できずに廃城となりました。

標高181mの烏帽子形山頂に築かれた城は、高槻山系、生駒山系、金剛山系の城とライバル関係や相互関係になる事もありました。本丸には礎石建物跡も残されています。

北西側が断崖で東側は河岸段丘上に広がり、三方を川に囲まれています。京都と堺を結ぶ高野街道、河内と和泉を結ぶ河泉街道、紀伊国と結ぶ九重街道など交通の要衝地でした。

本丸の北西側は急な斜面となり横堀になっています。街中にありながら良い状態で保存された烏帽子形城は、20分のキャスリングでした。



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