キャスリング 松江城編(国宝5城・現存天守12城・日本100名城)

JR山陰本線松江駅から北に2.5キロ、30分歩いた所に松江城があります。

車の場合は、山陰自動車道松江玉造インターを降りて北に6キロ、15分ぐらいです。駐車場はいくつかありますが、松江市営松江城大手前駐車場がメインで2時間で500円です。

大手前駐車場からは、3棟の櫓と多聞櫓が見えます。大手門からキャスリングスタートです!

大手門前には、堀尾吉晴の像があります。豊臣秀吉に仕え、長篠の戦い、備中高松城攻め、山崎の戦いなど多くの戦功を上げました。松江開府の祖として建てられました。

1600年 関ヶ原の戦いで戦功を上げた堀尾吉晴の子の堀尾忠氏が、隠岐出雲24万石で月山富田城に入城します。

1611年 月山富田城は山城で不便なので、利便性がよく城下町を造りやすい松江城を築城しました。

1871年 松江城の廃城が決まり、再利用できる釘など金物の入札や、天守の解体などの寸前、藩士と豪農の方たちがお金を出して天守閣を入札したそうです。消える運命にある城の危機を救い、歴史を今に伝えています。

お城の南東側の大手木戸門跡を進むと、外曲輪で多くの馬をつなげていた馬溜跡があります。

馬溜には井戸跡もありました。馬用の飲用水だったのでしょうか。多聞櫓の右が太鼓櫓、左が中櫓です。

馬溜は一辺46mの正方形の区画です。北に進むと壮大な大手門があったそうです。松江市で、大手門の復元資料を探して、認められれば500万円の懸賞が出るようです。

大手門跡を進むと、二の丸下の段です。米蔵、屋敷などがあったそうです。明治になってからは、運動場にもなっていました。

馬溜りは石垣で四方を囲まれており防備体制がしっかりしています。二の丸下の段は現在芝生が敷かれています。

石垣や野面積み、打ち込みハギ、切り込みハギが混在しています。幾つかの石垣には築城主である堀尾氏の家紋である分銅紋が刻まれています。地図記号の銀行マークと一緒ですね。

階段を上がっていくと、二の丸の三の門跡があります。二の丸には、江戸時代に御書院があり、藩主の居宅となっていました。

三の門跡の東側には、下から見えていた太鼓櫓があります。

2001年に復元された太鼓櫓は内部も入れます。

太鼓櫓の南には中櫓があり武具倉庫だったと推定されます。

南東隅には、南櫓があり二階建になります。城下町の南東側を監視する役割だったと推定されます。

南櫓の狭間からは南東側のお堀と街が見えます。南櫓のさらに南には、御月見櫓がありました。

御月見櫓跡の横には、石階段があり千鳥橋(廊下橋)へとつながっています。二の丸には、大正天皇、昭和天皇の御手植えの松があります。

松の横には、明治天皇の行在所の為に造られた興雲閣があります。明治天皇の行幸は実現しませんでしたが、大正天皇の御旅館となりました。

迎賓館としての役割だったので、華麗な仕上がりとなっています。入館無料です。

興雲閣の北側には、御書院跡があります。現在は松江神社として、松江松平家初代藩主の松平直政功が主祭神となっています。

御書院の北側には局長屋跡があります。さらに北には二の門跡があります。これで二の丸を時計周りに一周しました。

二の門跡を進むと一の門があります。

一の門をくぐると、天守閣の切符売り場あります。大人670円です。その他にも、小泉八雲記念館、武家屋敷の三館共通券があり大人1090円です。

松江城の正面には付櫓があり、そこから入城します。靴を袋に入れて階段を上がります。

天守閣受付で切符を渡します。受付に日本100名城スタンプが置いてあります。付櫓は防御のかなめであり石落としや、鉄砲や矢を打つための石打ち棚があります。

地階は塩蔵があり、塩の生産地、生産者名、庄屋名などの塩札がありました。

地階には、籠城戦用の井戸があります。天守に井戸があるのは、現存天守の中で唯一となります。高さ2.1mの鯱は、現存天守最大となります。

城内に入ると、築城年が書いてある祈祷札と柱の釘穴が一致した事で、松江城が国宝となるきっかけとなった柱がありました。

地階から一階に上がります。

一階には、天守最大となる東西二本の、地階と一階の通し柱があります。

昭和の修理の際に、古材に堀尾氏の家紋である分銅紋が彫られていました。分銅紋には「富」の字があり、富田城の意味で転用された可能性もあります。

一階には武者走りのスペースがありました。

二階に上がると歴史絵図や甲冑などの展示物があります。

初代藩主の堀尾氏は二代で断絶、その後の京極氏は一代で断絶したので、徳川家康の孫にあたる松平直政が松本城から松江城に入城します。

二階から三階に上がります。三階には、質実剛健なイメージの松江城に、優美なアクセントの花頭窓があります。

望楼型の天守は、二階分の通し柱を各階に交互に配置する事で、大材を使わずに大規模天守がの建築ができる技術があります。

四階、五階へとあがっていきます。梁から立ち上がる柱が見えます。

五階は最上階になり、小屋裏には棟札が貼られています。

東側は眼下に二の丸、南側は遠くに宍道湖と嫁が島が見えます。

天守を出てお城の周りを歩いてみると、天守東側には、祈祷櫓跡がありました。祈祷櫓は二階建で多聞櫓が続いていました。西側から天守を見上げてみると入母屋破風が一際目を引きます。

天守の北西側は乾櫓跡があります。その右には裏手搦手にあたる北の門があります。

松江城は天守も素晴らしいですが、北側の石垣群もまた見どころです。

水の手門横には、ギリギリ井戸跡の札がありました。ギリギリとは頭のつむじの方言です。堀尾吉晴が松江城を築城中、石垣を積もうとしても崩れてしまうので、掘り返したところ槍で貫かれた一つ頭蓋骨が出土しました。それを供養する為に三日間祈祷を行った結果、石垣を無事に完成し掘った穴から水が湧いてきました。掘ったところがお城の中心(頭の中心のつむじ)という事でこのように名づけられました。

北の門から腰曲輪を経て水の手門の虎口が圧巻です。様々な時代の石垣に積まれる、裏手からみる松江城も良いです。

馬洗池の横を通り、西に行くと護国神社、東に行くと脇虎口の門跡、南に行くと中曲輪沿いの石垣をみながら大手門に戻れます。

石垣ごしに下から見る松江城も美しいですね。惚れ惚れします。

大手門駐車場に戻るまで3.7キロ、約70分のキャスリングでした。小泉八雲記念館や武家屋敷、お堀めぐりなどまだまだ見どころがあります。

(おまけ)

松江城から西に10分歩いた所に神代そばがあります。松江藩初代藩主の松平直政が松本城から異動の際、一緒に蕎麦職人を連れて行ったのがきっかけで蕎麦文化が育まれました。更に七代藩主の松平治郷は、蕎麦好きで移動時持ち運びしやすいようした重箱(=割子)にしました。近代では、衛生的に洗いやすいように丸型の重箱になっています。だし汁をそばにかけて薬味を入れて食します。



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