キャスリング 聚楽第編

二条城から北に1.6キロ、20分歩いた所に聚楽第跡があります。

1587年 豊臣秀吉が関白になり政庁兼邸宅として築城されました。九州征伐を終えた豊臣秀吉は大坂より移り、後陽成天皇の行幸や天正少年使節、徳川家康を迎えています。

二条城よりも大きい、三つの廓と堀をめぐらせ、建物には金箔瓦が用いられ天守もあったと言われていますが、まだ不明点も多く残っている幻のお城です。

1591年 甥の豊臣秀次に譲り、後陽成天皇の行幸を再び迎えています。しかし、秀頼が生まれると秀次を高野山へ追放し謀反の疑いで切腹させる事件が起きます。そして聚楽第を徹底的に壊しました。築城からわずか8年でした。

聚楽第跡の石碑から南にあるハローワーク西陣を建てる時に、金箔瓦が大量に見つかり、国の重要文化財に指定されています。

京都御所の西に大規模なお城を造り、天皇を行幸させるという豊臣秀吉の権力を誇示するお城というイメージですね。聚楽第の壁に豊臣秀吉を批判する落書きもされて、落書きに気付かなかった当番兵17名と容疑者と思わしき約60名を六条河原で処刑したという話もあります。

豊臣の栄華が崩れ去る黄金の城の解明は、まだこれからかもしれません。だから歴史は面白いですね。



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