キャスリング 吉田城編(続日本100名城)

豊橋鉄道東田本線市役所駅前を降りて、北に歩いて2分の所に吉田城があります。豊橋公園の中に吉田城があります。

車の場合は、豊橋公園駐車場があります。駐車場は無料です。

三の丸口門跡から入城します。

豊橋公園案内図と吉田城案内図を見て、櫓跡などを把握します。

1505年今川氏の家臣、牧野古白(まきのこはく)が築城しました。

公園なので散歩している方が多く、豊橋の憩いの場ですね。二の丸口門跡です。

小高い山になっているのは、着到櫓跡です。冠木門跡です。本丸に近づいてきました。

本丸辺りには、野面積みの石垣と土塁がしっかりと残っています。東三河の要衝の地という事で、今川、武田、徳川の武将たちが攻防を繰り返した場所です。

南御多門跡を進むと本丸と、鉄櫓があります。

鉄櫓の中は資料館になっており、入城は無料です。続100名城スタンプもあります。

1537年 牧野氏を退けて、戸田宣成が入城します。

1546年 戸田氏を退けて、今川義元は、伊藤左近を城代とします。

1560年 桶狭間の戦いで今川義元が討たれると、松平家康に攻略されます。

北側には豊川が流れ、背水の陣形となるのを嫌ったとされ、家康は酒井忠次を城代にします。

吉田城の総構えは、名古屋城はの2倍と広大な敷地でした。背水の陣の弱点を補うため、腰曲輪を構え、石垣よりも高くしています。

裏御門跡の外には金柑丸という曲輪があります。

1590年 徳川家康が関東に異動となり、岐阜城から池田輝政が入城します。

お城の東側(三の丸会館、駐車場の方)には、豊城神社があります。

1601年関ヶ原の戦い後、池田輝政は姫路に異動となり、竹谷松平氏、深溝松平氏、水野氏、小笠原氏、大河内松平氏と続き、明治維新になります。

違う日に、豊川の向こう岸から鉄櫓を撮りました。明治時代の鉄櫓の写真もあります。

幕藩体制の元、三河吉田藩の藩庁が置かれました。東海道の防衛拠点の一つとして、有力な譜代大名が城主となり、出世城とも呼ばれています。これから注目されていくお城かもしれません。45分のキャスリングでした。

おまけ

豊橋駅の近くに、よくいくお店があります。スパゲッ亭チャオ本店という所で昭和の風情があるお店です。カレーうどんもご当地グルメとして売り出し中ですね。



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