キャスリング 吉田郡山城編(日本100名城)

JR芸備線吉田口駅から、西に7キロ、90分歩いた所に、吉田郡山城登山口があります。

車の場合は、安芸高田市歴史民俗博物館(9時開店でそれまでは閉まっています)に駐車場を停める方法もあります。この資料館の窓口に、日本100名城スタンプが置いてあります。

博物館から細い山道を更に上がると、郡山城址石碑です。毛利元就公の銅像もあります。

山道をさらにあがると画像のような、10台ぐらい置ける無料駐車場があります。標高390mの山です。

郡山城跡の案内図で全体像を把握しましょう。

駐車場から見える山は、左が青山、右が三井山と言います。1540年尼子詮久が陣を構え、毛利元就と5ヵ月間、郡山合戦を繰り広げました。駐車場の横には、鳥居があり、ここからキャスリングスタートです!朝の6時30分で、清々しいです。

郡山城跡の案内図を見ながらルートを決めていきましょう。時計周りに周っていきます。最初は舗装路なのですが・・・

3分ほど登ると、毛利一族と毛利元就の墓があります。

墓所の他に、百万一心の石碑があります。百万一心とは、分解すると一日一力一心と読む事ができ、人柱の代わりにこの文字を刻んだ石碑を人柱の代わりにする事で、命を損なうことなく普請ができたと言われています。皆で力を合わせれば何事にも成し遂げる事ができるという教えです。墓所から本丸までは800mの道程です。

ここから石畳と山道になります。トレッキングシューズなど装備をした方が良いです。

古墳もあります。土の道になってきました。

吉田郡山城は、山陰と山陽を結ぶ、領土の争奪戦に適した重要な場所でした。

本丸まで徐々に近づいていきます。

吉田郡山城の築城時期は分かっていませんが、1325年以降だと言われています。吉田荘の地頭として毛利時親が、1336年に吉田郡山城に住んだと言われています。

駐車場からスタートして25分、本丸まで100mの所まで来ました。

1523年 12代目毛利元就が入城するまでは、大きな変化は無かったそうです。

土塁跡や石垣らしきものが見えてきました。

毛利元就は、国領主から戦国大名として、城を改造していきます。

二の丸まで来ました。ここからは、見どころが固まっています。

1540年 吉田郡山城の戦いでは、出雲の尼子詮久3万の大軍を撃破しました。

本丸と本丸から見た二の丸、三の丸です。私が立っているので大きさが分かるでしょうか? 毛利元就の子、毛利隆元や重臣などの館を造り、戦時と平時の城郭の性格をもつ城造りを進めました。本丸には監視台となる櫓が建てられました。毛利元就の孫、毛利輝元の時代には、三層三階の天守があったと言われています。

かなり荒れていますが、三の丸の石垣が残っています。僅かに立石も残っています。

苔だけが、時代の移り変わりを知っているみたいです。勢溜ノ壇からは下山していきます。

1591年 毛利輝元が広島城をほぼ完成させると、吉田郡山城の役割は薄くなっていきました。

勢溜ノ壇(せだまり)多くの人々が行き交う場所だったのでしょうか。九十九折に山道を下ります。

下山途中、尾崎丸という出城がありました。野生の鹿とも遭遇しました。

階段を下り、毛利隆元の墓所が見えてきました。もうそろそろゴールです。

1600年 関ヶ原の戦い直後に廃城になったと言われています。ここから毛利氏の新しい時代がまた始まります。

広島城を築城する毛利輝元の父、毛利隆元の墓所です。

山城のキャスリングは10月から5月ぐらいがいいですね。夏は暑さと蚊やスズメバチ、植物の繁茂、冬は寒さと雪などで避けたい時期です。

駐車場まで戻ってきました。歴史に思いを馳せながら、120分のキャスリングでした。



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