キャスリング 原城編(続日本100名城)

島原鉄道島原駅から南25キロ、バスで50分、原城前停留所を降りると原城跡があります。

車の場合は、国道251線沿いに原城跡の看板がありますので、目印にして下さい。国道沿いに無料の駐車場がありますが、本丸近くまで車で入っていきました。道が細いので気をつけて下さい。

続日本100名城スタンプは、南島原市有馬キリシタン遺産記念館にあります。原城跡から北西に約2キロです。

細い道を進むと右手に原城、左手に三の丸の石垣があります。

1496年 原城の近くにある日野江城の支城として、有明海に突き出た丘陵地帯に有馬貴純が築城しました。島原の乱では、幕府側の細川軍が、大手門を破ったそうです。

有馬氏が延岡城に異動となり、1616年松倉重政が日野江城に入城しますが、新しく島原城を築城しました。その際に、日野江城、原城は廃城となりました。

島原藩主の松倉重政、勝家は島原城築城で財政を悪化させました。また、石高を偽って年貢の取り立ても厳しくし、キリシタン弾圧行いました。

縦に細長い縄張りで南に向かうと二の丸、さらに奥に行くと駐車場と本丸があります。

途中にある空堀です。島原の乱の際には、ここに女性、子供が隠れていたそうです。無料の駐車場は20台ぐらいは停められそうです。

1637年 圧政と弾圧により、島原半島、天草で農民一揆が起き、島原城、富岡城が襲撃されました。駐車場に車を停め、本丸まで歩きます。

一揆軍は37,000人にのぼり、原城に籠城します。乱の後は徹底的に石垣が破壊されました。

小西行長の家臣の子孫と言われる天草四郎が、一揆軍の総大将となり、幕府軍と戦います。

有明海を臨む丘陵地帯に築かれた原城跡からは、北に雲仙普賢岳が見えます。池尻門口跡の階段を上がると本丸になります。

鳥取藩池田氏の家臣 佐分利九之丞の墓碑と天草四郎時貞の墓碑です。15歳という若さで総大将として幕府軍と戦いました。88日間籠城しましたが、本丸で首を切られて、長崎に出島 ポルトガル商館前でさらし首にされました。

十字架と天草四郎の像です。

原城跡の石碑です。本丸から西は、有馬の町並みが見えます。

福岡の黒田氏、鹿児島の島津氏、佐賀の鍋島氏など主大名が参加し、幕府軍も総力戦でした。

島原城天守閣内展示室にある原城の模型と陣形です。(※島原城の展示物です)

幕府軍の攻撃は熾烈を極め、籠城していた37,000人全員が死亡し、唯一生き残ったのは、内通者の山田右衛門作だと言われています。

本丸から南に歩くと、有馬時代の乗馬練習場の内馬場跡と田町御門跡があります。

さらに南には天草からの軍が構えていた、天草丸跡があります。

島原の乱後、幕府は一揆の拠点とならないように徹底的に破壊し、遺体も原城内にまとめて埋められました。1990年からの発掘調査では、大量の人骨や十字架などが発見されました。
重い過去を抱えた島原の歴史を忘れる事なく伝えていく事が、大人の役割だと感じました。手を合わせながらの、60分のキャスリングでした。



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