キャスリング 玖島城編

JR大村線大村駅から南に2キロ、30分歩いた所に玖島城があります。

車の場合は、お城の海側に、20台ぐらい停められる無料駐車場があります。階段を登らず、大手門跡に周ります。

1587年 キリシタン大名の大村純忠は、豊臣秀吉の九州征伐に息子大村喜前を参加させ、大村地方を安堵されました。

1598年 大村喜前は、豊臣秀吉の死後で政情が不安定になり、玖島城を築城します。

玖島城のシンボルともいえる板敷櫓です。

大村氏は鎌倉時代の頃から、大村地方の地頭として、この地を治めてきました。

大手門からキャスリングスタートです!

大村藩3代藩主大村純信は、兵庫県の伊丹勝長の長女を妻に迎え、勝長の4男も養子に迎えた事から伊丹市との姉妹都市締結をしています。

戊辰戦争の際、新政府軍の大村藩から角館に派遣された「吾往隊」の一人、浜田謹吾は角館戦争の際に戦死しました。幕府軍との戦いで、大村藩から7名の戦死者をだしました。その事から角館市との姉妹都市締結をしています。

斉藤歓之助は、剣術師範役となりました。実戦に強い歓之助の神道無念流の入門が相次ぎ、門弟は千人以上に達したと言われています。

階段を登ると、お茶屋があったので休憩します。

名物梅ヶ枝焼を食べていると・・・猫侍がやってきました。

台所口門跡から入城します。肥前の大名 龍造寺隆信が攻めてきた時、大村藩主の大村純忠の軍が石を吹いて陣具として代用し敵を退けたという伝説のほら石です。

玖島城本丸跡には、270年あまり続いた大村家歴代を祀る大村神社があります。台所門、反対側の搦手門、虎口門と3つの出入り口があったそうです。

19代大村喜前は、幼くして洗礼を受け、佐賀の龍造寺隆信に人質として送られ、豊臣秀吉の薩摩天草攻め、朝鮮出兵に従軍し、玖島城を築城し城下町を開き、江戸幕府の際に初代藩主となった藩政の基礎を創った方です。

そして肥前大村藩最後の藩主 大村純熈の銅像です。

搦手門跡です。加藤清正から設計指導を受けたとされています。

二の丸跡を越えて、奥に進むと板敷櫓があります。無料で入れます。

1992年(平成4年)に板敷櫓が再建されました。

櫓からの眺めは、大村湾が臨めます。櫓を出て海が見える階段(駐車場の近く)まで戻ってきました。

藩船の発着場に使われたいた新蔵波止です。150m先には藩船が格納されていた、大村藩お船蔵跡があります。

長崎空港から近い玖島城は便利な場所にあります。大村藩の歴史と戊辰戦争のつながりなどもっと勉強したくなりました。50分のキャスリングでした。



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