キャスリング 熊本城編(日本100名城)

熊本駅から市電で約20分。車の場合は、お城前駐車場(台数少ないのですぐ満車になるおそれあり)、熊本城前本丸パーキングがありますが、二の丸駐車場(100名城スタンプが置いてあります)、三の丸第二駐車場がおすすめです。

ご存知の通り、2016年4月の熊本地震で殆どの部分が見学できませんが、周囲から櫓や天守が見えます。お城をひと周りをするのに入園料などのお金はかかりませんでした。(訪問日2018年2月)

今回のキャスリングは、行幸橋手前の加藤清正像から一周してみました。加藤清正公は(せいしょこさん)と地元では親しまれています。

行幸橋を渡り、桜の馬場城彩苑に入ると食事処、土産屋、演舞ショーなどがあり観光客でにぎわっています。奥に進むと復興見学ルートの案内版があります。

階段を上りルート通り進むと、南西に位置する未申櫓(ひつじさるやぐら)が見えてきました。さらに進むと、西大手櫓門、元太鼓櫓です。崩れた石垣、倒壊した櫓が生々しく残っています。

大小天守と宇土櫓です。加藤清正は築城の際に近江(滋賀県)の石工集団の穴太衆(あのうしゅう)に石垣を作らせたと言われています。

中でも宇土櫓は築城から約400年、西南戦争、熊本地震を経てもほぼ無傷でした。

崩壊した石垣に順を付けて修復をしていきます。石の大きさや数を考えると気の遠くなる作業ですね。2003年に復元された熊本城の北西(戌亥/いぬい)の方角にある戌亥櫓です。

画像を拡大すると・・・石垣の一部分で支えています。大きな地震がこない事を祈るばかりです。

さらに進むと、加藤清正がご祭神となる加藤神社があり、熊本城が早く安全に修復される事と旅の安全を祈願します。

神社の境内からは、修復中の大天守、小天守が間近に見えます。2019年に大天守の修復、その後小天守の修復を目指しているそうです。境内には、加藤清正公が植えたとされる銀杏があり、西南戦争直前に天守、本丸御殿が消失した際に、この銀杏も焼けてしまったそうです。しかし燃えた後からも芽が出て成長しています。

文禄の役の記念で、明治42年に肥前名護屋城跡から加藤神社に移した清正公の旗立石があります。

先ほど遠目で見えた宇土櫓は櫓とは思えないほど立派な五階櫓です。充分天守になりうる建物だと思いますが、当時は同じ櫓が六基あったそうで相当の迫力だったと思います。石垣も崩壊せずに残っており、穴太衆の技術の高さが分かります。

加藤神社から離れ、棒庵坂を下り時計周りに石垣を周ると平櫓、不開門があります。夜になってもう1回周った時の平櫓ライトアップバージョンです。

北十八間櫓は熊本地震で倒壊してしまいました。熊本大神宮の横を通り、熊本市発展に寄与した高橋守雄氏を記念して作られた高橋公園には、横井小楠、坂本龍馬、勝海舟、松平春嶽、細川護久の維新群像があります。

その横には、西南戦争の政府軍として熊本城を守った熊本鎮台(日本陸軍)の司令長官だった谷干城(たにたてき)の銅像もあり戦国時代だけでなく、幕末時代の見どころもあります。

谷干城は坂本龍馬殺害現場にいち早く赴き、まだ生きていた中岡慎太郎から殺害時の状況を直接聞いていた人物です。お城から離れ、厩橋を渡り通町筋まで来ました。熊本市電と天守閣が一緒に撮れる場所として有名なスポットです。

厩橋を渡りまたお城に近づきます。須戸口門を横目に歩くと長い石垣が見えてきました。形のとおり長塀です。

全長242mと日本一の長さでしたが、本来は石垣だけではなく白と黒のコントラストは美しい土壁しっくいの塀がありましたが熊本地震で倒壊してしまいました。最後は、馬具櫓まで来ました。これで一周し、約90分のキャスリングでした。地震の爪痕の生々しさと地震前がどれだけ美しかったのかがまた再確認できました。時間はかかると思いますが、いつの日かまた美しい熊本城にお会いしたいものです。

(おまけ)

熊本城周辺を歩くと宮本武蔵の面影を見つける事ができます。

1640年に当時藩主だった細川忠利に招かれて、熊本城内にある千葉城(地名は千葉城町)で晩年を過ごしたそうです。



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