キャスリング 淀城編

京阪本線淀駅から西に500m、6分歩いた所に淀城跡があります。ミニストップが目印になると思います。

車の場合は、ミニストップの左奥に、コインパーキング、駐車場があります。60分200円でした。

淀城の敷地に入ると、淀藩稲葉家の案内と古地図の看板があります。淀は、外国や西日本から都(京都)に運ばれる物資の集積地として栄えた商業地でした。また河内、摂津、大和から都に入る要衝地でもありました。公園になっており解放されています。

現在の淀城は、江戸時代に築城されましたが、淀駅から北西に300mほどの場所に築かれた、淀古城のお話からします。

1478年 山城の守護畠山政長が、応仁の乱の備えとして勝竜寺城から守護所を淀に移した事が、始まりとされています。その後も、槙島城とともに要害地であった為に、淀古城の戦いが繰り広げられました。

1589年 豊臣秀吉は、側室茶々に淀古城を与え、淀殿と呼ばれるようになります。そして豊臣秀吉の待望の男子、鶴松が産まれますが、すぐに死去します。甥の秀次が養子となりますが、秀頼が産まれると、様々な軋轢が生じ1595年秀次の切腹とともに廃城となります。

1619年 伏見城の廃城に伴い、松平定綱が淀城を築城します。

1633年 松平定綱が大垣に異動し、永井尚政が入城します。

淀城由来の看板と、平戸城にあった淀城の縄張り図です。

1669年 石川憲之が入城し、石川氏→戸田氏→松平氏と変わります。

お城の西側のお堀です。石垣の上は遊歩道になっています。ここから東に向かいます。

1723年 稲葉正成が入城し、廃藩まで淀藩主として稲葉氏が治めます。

石垣から西を見ると山崎の戦いの舞台、天王山が見えます。桂川、宇治川、木津川と天王山に囲まれた要害地である事が分かります。東の石垣からは京阪線が見えます。

城内には、與杼(よど)神社があります。石垣をもっと見たかったので、京阪線高架下の駐車場から撮ってみました。五重五階の白漆喰の望楼型天守だったと言われています。

近接する地域で流れる歴史の渦に翻弄された、槙島城、伏見城、淀城は、遺構は少ないものの歴史に思いを馳せながら歩くだけでも楽しめます。30分のキャスリングでした。次は淀古城辺りも行ってみたいと思います。



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