キャスリング 勝龍寺城編

JR東海道本線長岡京駅から、ガラシャ通りを南に600m、8分歩くとに勝龍寺城があります。

車の場合は、勝竜寺公園駐車場があり、8台ぐらい停められる無料駐車場です。

綺麗に整備された櫓やお堀周りには、細川ガラシャ紹介の看板があります。

1339年 南北朝時代に、京都へ進出する南朝方に備えて、北朝方の細川頼春が築城したと言われています。

1467年 応仁の乱では、西軍の守護畠山義就の乙訓(おとくに)地域の拠点となりました。

京都では、要衝地の山崎城につぐ防衛拠点でした。戦国時代には、淀古城とともに松永久秀、三好三人衆の属城となっていました。模擬櫓は、資料館となっており入場は無料です。

1568年 織田信長は、三好三人衆の岩成友通が守る勝竜寺を攻撃し、降伏し開城させました。

1階はトイレと庭園が眺められる休憩所、2階は資料館となっており、勝竜寺城の歴史が学べます。細川ガラシャが嫁ぐ際の屏風です。

1571年 細川藤孝は、織田信長から山城西岡一帯を与えられ、城主となります。槇島城とともに、織田信長の山城地域防衛拠点でした。

乙訓周辺は要衝地である為、多くのお城が築かれました。勝竜寺城は、寺院を改造しお城として機能していきました。

1578年 細川藤孝の嫡男である細川忠興は、明智光秀の娘お玉を嫁がせ、勝竜寺城で盛大な結婚式を行いました。その後は、悲劇的な最期を遂げていきます。

1582年 本能寺の変により、明智光秀の属城になりますが、羽柴秀吉軍の攻撃で秀吉が入城します。その後、淀古城などの修築により、勝竜寺城は荒廃します。

北門跡や沼田丸跡など看板があるのでイメージがしやすいです。

1633年 永井直清が、山城長岡藩主として入城します。

1649年 永井直清は、摂津高槻藩に異動となり、勝竜寺城は廃城となります。

芝生広場が沼田丸跡になっており、井戸跡もあります。地下水を利用した飲み水が汲めます。

槇島城、伏見城、淀古城、勝竜寺城は、歴史的につながりあるお城だと感じました。遺構が少なくても、歴史を残していこうとする地元の方の愛情が感じられます。40分のキャスリングでした。



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