キャスリング 鳥取城編(日本100名城)

JR山陰本線鳥取駅から北に、2.2キロ、30分歩いた所に鳥取城跡があります。

車の場合は、鳥取城の周りに駐車場があり、土日祝は役所の駐車場が無料で開放されます。

北ノ御門跡から入城します。左手には鳥取県立博物館があります。

鳥取城は、2つに分かれており、標高263mの久松山(きゅうしょうざん)の山麓が山下ノ丸、山頂が山上ノ丸となります。山頂までは片道90分かかります。山上ノ丸の案内は後半で。

右手には、仁風閣があり100名城スタンプが置いてあります。赤坂離宮(迎賓館)などを設計した片山東熊設計の天皇山陰行幸の為の施設で、国の重要文化財に指定されているフレンチルネサンス建築物です。建物の名前は、行幸の随行者、東郷平八郎が名づけました。鳥取城と共に見どころです。

仁風閣は、鳥取城の扇御殿跡に造られたので、建物と石垣が一緒に見られます。お城は、石垣しか残っていませんが、仁風閣という素晴らしい建物が残っているのが、魅力です。

1532年~1555年に、但馬山名氏が、久松山の自然地形を活かして築城したと言われています。西坂下御門からキャスリングスタートです!

1573年 山中幸盛率いる尼子軍と、因幡領主だった武田高信との間に鳥取城の戦いが起きます。武田軍は滅び、尼子軍の山名豊国が天神山城から拠点を鳥取城に移します。

石階段を登ると、右膳ノ丸に出ます。

1580年 織田、羽柴秀吉による第一次鳥取城攻めが始まります。3カ月の籠城戦の末、山名豊国は降伏します。

右膳ノ丸から階段を登り二ノ丸に向かうと、登石垣があります。

1581年 吉川経家が城主となり毛利氏への従属を決めたため、過酷な第二次鳥取城攻めが始まります。

二ノ丸跡には、角櫓、三階櫓、裏御門、走櫓、菱櫓、表御門の跡があります。

三階櫓の石垣が修復されています。所々で石垣を修復している工事を行っています。

二ノ丸の背後にある山から切り出した石切り場です。

1580年の第二次鳥取城攻めでは、羽柴秀吉と黒田官兵衛は、三木城合戦と同様に兵糧攻めを徹底的に行います。米を高値で買占め、毛利からの兵糧搬入ルートを阻止し、約4カ月で凄惨な状況に追い込みます。

1585年 羽柴秀吉の与力 宮部継潤(みやべけいじゅん)が豊岡から鳥取城主になります。

石切り場の右手にある鳥居の奥に石階段を登り、天球丸に向かいます。

1600年 関ヶ原の戦いで西軍の属した宮部氏に替わり、池田長吉が城主となります。

池田長吉の姉で若狭鬼ヶ城の城主 山崎家盛の夫人であった天球院に由来する天球丸跡です。

天球丸から下を見ると、鳥取城の象徴ともいえる、復元された巻石垣が見えます。1807年頃に石垣が崩れそうになったのを防ぐ目的で築いたとされています。

1617年 池田光政は、姫路から異動し325,000石で城主となります。祖父は、池田輝政です。そのまま12代続き明治維新を迎えます。

天球丸から上に行くと山頂の山上ノ丸に行けます。下の二ノ丸に戻り、表御門跡から巻石垣を下から見てみます。

天球丸から坂道を下り、太鼓御門櫓跡に出ました。左手は三ノ丸になり鳥取西高校があります。そこから中ノ御門跡に出て、擬宝珠橋(ぎぼしばし)を渡るルートを行こうとしていましたが、工事中で通行止めでした。2018年中には、整備されるそうです。擬宝珠橋が大手登城路となり、主要門とともに復元される予定です。

お堀の南端(鳥取市武道館)には、第二次鳥取城攻めの「鳥取城の渇え殺し」で自刃をし、開城した吉川経家の銅像があります。羽柴秀吉は、兵と共に広島に帰る事を勧めましたが、責任を負い、兵と民の命を救う事を果たしました。麓の山下ノ丸で、60分のキャスリングでした

後日、山上ノ丸をキャスリングしました。二ノ丸と天球丸の間に山頂登山口があります。一応クマよけ鈴を鳴らしながらキャスリングスタートです!

ほどなく歩くと、武運の神を祀る八幡宮神社があります。建築物はありませんが、石垣を見ると、谷筋から流れ落ちる水の抵抗を考えて、角のない石積み施工がされています。

まずは、一合目です。四合目あたりに祠があり、キャスリングの安全を祈願します。

一合あたりの距離が短く、比較的一合、二合、三号とテンポよく案内板が出てきます。荷物を持たずに散歩コースとして、地元の方が歩かれていたのが印象的です。

登り始めて30分で山上に着きました。石階段を上って右手は二の丸、三の丸、左手は本丸、出丸になります。

昭和32年 鳥取城は、山上の丸の中世の山城的遺構と山下の丸の近世城郭的遺構どちらも見える貴重な城跡である事から国の史跡に指定されました。

まずは右手の二の丸跡、三の丸跡を見てみます。

本丸に向かいます。久松山を大きく切り開き、周りを高い石垣で囲っており迫力があります。出丸がせり出すステージのように城下を見下ろしています。

本丸には、天守櫓、車井戸、多門櫓、月見櫓が配されていました。天守櫓は、1692年に落雷で焼失し、それ以降再建される事はありませんでした。

1602年 池田長吉が、鳥取城大改装の際に掘られた井戸と言われています。本丸の西側の天守台が見えてきました。

天守台と天守櫓跡です。

天守台から西を見ると千代川と鳥取市内が見えます。天気の良い日は、大山まで見えるそうです。北側を見ると、なんと!鳥取砂丘が見えました。聞いていなかったので、感動しました。

本丸から1.5キロ先の東を見ると、山頂のアンテナが目印の標高252mの本陣山が見えます。1581年羽柴秀吉の中国攻めの際に、鳥取城を兵糧攻めにした本陣とした山です。ここは太閤ヶ平(たいこうがなる)と呼ばれており、巨大な土塁や空堀があります。今から太閤ヶ平に向かいます。

先ほどの本丸と二の丸の間の登山道に戻り、東の方に抜ける道があるので、進みます。立派な虎口になっている石垣があります。

途中看板がありますが、十神林道方面に向かいます。

途中から太閤ヶ平の行先看板が出てきました。初めてだと迷うかもしれませんので、注意して下さい。

歩くこと40分、太閤ヶ平まで残り50mです。木々の隙間から、先ほどいた久松山の鳥取城山上の丸が見えます。山を平に切り開いた事がよく分かります。

自然歩道の案内板があるので帰りのルートを考えます。県庁あたりに出るルートで下山します。太閤ヶ平に着きました。大きい通信施設のアンテナが目印です。

天下統一を目指す織田信長は、1577年中国毛利攻めを開始しました。1580年と翌年に家臣の羽柴秀吉に中国攻めを命じ、毛利方の拠点である鳥取城を攻めました。高さ4mの土塁や空堀がはっきりと残っており、素晴らしい遺構です。

鳥取城の東西南北四方を秀吉陣城で包囲しました。太閤ヶ平は、織田信長を迎え入れる為の本陣であったとも考えられています。

太閤ヶ平の土塁や空堀を十分楽しんだ後に下山しました。途中分かりにくい道がありますので、注意して下さい。おうちだに公園に行ける舗装された道で帰れば間違いは無いと思います。

鳥取城が落城し、池田長吉が入城した後に城下町の整備が始まりました。栗谷という武家屋敷地があります。鳥取県知事公邸もありました。

吉川経家の背後に見える鳥取城山上の丸を見ていると、盛者必衰の言葉が浮かび切ない気持ちになりました。山下の丸から山上の丸、太閤ヶ平と約9キロ、3時間のキャスリングでした。

(おまけ)

鳥取駅前には、スターバックスコーヒーならぬ、すなばコーヒーがあります。HPを見て面白いなと思い休憩に入りました。ランチもあるので休憩に寄ってみてはいかがでしょうか。鳥取砂丘の砂で焙煎した砂焼きコーヒーを頂きました。



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