キャスリング 高取城編(日本100名城・日本三大山城)

近鉄吉野線壺阪山駅から南東の7キロ、120分歩くと高取城跡があります。

車の場合は、高取城城下町土佐街道沿いに駐車場があり、そこから歩いて80分です。もしくは、国道169号線、清水谷の交差点を曲がり県道119号線を壺坂寺方向に向かいます。壺坂寺を過ぎると細い山道になるので、注意して下さい。

国道169号線の清水谷の交差点から15分ほど走り山道の最終地点に仮設トイレがあります。ここに車を停めて歩いて高取城に向かいます。駐車は3~5台ぐらい置けそうでしたが、正式な駐車場ではなさそうなので注意して下さい。

標高583mの高取山に築かれた高取城は、城下町と気温が違いますので、季節によっては寒さ対策も必要です。

土曜日の朝7時でしたので、誰もいませんでした。車を停めてキャスリングスタートです!

1332年 南北朝時代の南朝方の越智邦澄が築城したと言われています。

地図の看板は途中にありました。高取城は日本最大級の山城ですが、今回は時間の関係で七ツ井戸から本丸と二ノ丸のキャスリングとなりました。

車を停めた所から歩いて5分で、十五間多聞の石垣が見えてきました。さらに石階段を登ると朝霧の中から天守台石垣が見えてきました。幻想的な風景で息をのみます。

1580年 織田信長は大和郡山城を残し、他は廃城としました。

1582年 本能寺の変で織田信長は死去し、筒井順慶は高取城を本格的な城塞に改修しました。

1585年 筒井順慶は、伊賀国上野に異動となり、豊臣秀長(秀吉の異父弟)が大和郡山城に入城し、家臣の本田利久が入城し大改修を行います。

日本三大山城の一つで、高取城で全て制覇となりました。

①大和高取城(標高583m、比高390mと日本一)

②美濃岩村城(標高721mと日本一)

③備中松山城(標高430m、現存天守の高さ日本一)(城郭検定2級出題)

1600年 徳川家康の上杉景勝の征討の際に、城主だった本多俊政も征討軍に加わっており留守となりました。その隙をついて、石田三成が攻めてきましたが、この堅固な要害により敗退させました。

木彫りの高取城天守と熊の案内版です。可愛らしくてよくできています。

1600年 関ヶ原の戦いで、東軍についた本多俊政は高取藩25,000石の藩主となりました。しかし三代で本多氏は断絶します。

本丸には、三重の大小天守、城内には三重櫓が17基設置され、壮大な山城でした。

1640年 旗本の植村家政が入城し、明治維新まで14代続きました。

1863年 尊皇攘夷派の浪士一団の天誅組の変で高取城は攻撃を受けますが、高取藩兵の攻撃で天誅組を退却させました。

天守台の穴蔵と井戸がありました。車に戻るまで50分のキャスリングでした。

車で下山する途中に見えた、葛城山、金剛山、二上山です。手前は奈良盆地で山の向こうが大阪平野となります。大和郡山城の詰めの城として重要な拠点でした。

城下町の土佐街道にあった高取城のCG再現写真は、白漆喰塗りの天守や櫓が数多く存在した壮大なお城だった事が分かります。

土佐街道(土佐は高取の旧名)は、時間によっては一方通行なので注意して下さい。土佐街道沿いの夢創館に100名城スタンプがあります。次回は、城下町から大手道、猿石と下からキャスリングをしたいと思います。

(おまけ)

北側には、明日香村のキトラ古墳、高松塚古墳など数多くの歴史遺産があります。時代は違えど人々の営みや歴史を知る事が大切ですね。



シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする