キャスリング 宇陀松山城編(続日本100名城)

近鉄大阪線榛原駅から伊勢本街道を南8キロ、100分歩いた所に宇陀松山城跡があります。

車の場合は、道の駅宇陀路大宇陀の駐車場から、東に800m、15分歩きます。

この日は、まちづくりセンター千軒舎の駐車スペースに停めさせて頂きました。千軒舎に続100名城スタンプが置いてあります。千軒舎は、旧内藤家の住宅で明治時代前期のつし二階の町屋造りで、建築物としても興味深い建物です。

千軒舎を出ると舗装された登山路があります。ここから歩いてキャスリングスタートです!

10分ほど歩くと広いスペースに出ました。今は車乗り入れ禁止でしたが、今後は車で行けるようになるのかもしれません。

宇陀松山城は、築城時期は不明ですが、南北朝期で秋山氏の居城として築城されたと言われています。

1585年 豊臣秀長が大和郡山城に入城し、秋山氏は宇陀から退去しました。その後、伊藤義之、加藤光泰、羽田正親、多賀秀種の居城となり、改修が進みました。

残り100mは未舗装路になります。途中で空堀らしき場所がありました。

1600年 関ヶ原の戦いで、多賀秀種は西軍だった為改易となり、福島正則の弟の福島高晴が入城しました。この時期から松山城と呼ばれるようになったと言われています。

南西虎口部(雀門跡)は城内に入る要になり、瓦などが出土し多聞櫓や隅櫓があったとされています。

1615年 大坂夏の陣で、福島高晴は豊臣方に内通したとされ改易になり、小堀遠州らにより破却されます。石垣などが垣間見えているとロマンを感じます。

さらに進むと本丸になります。本丸御殿は5棟からなり檜皮葺、杮葺きと推定されています。

本丸から南には大峯山系が見えます。

本丸より一段上がった場所が天守廓となり、天守に相当する多重の建造物があったとされています。

宇陀松山城の城下、宇陀市松山重要伝統的建造物保存地区となり、築200年を超える古民家が多く残っています。

続100名城スタンプが置いてある千軒舎から900mほど歩くと、松山西口関門があります。城下町から商家町へと発展した町並み散策も含めての、80分のキャスリングでした。

(おまけ)

千軒舎から南に歩くと、酒造通りになります。その通りに「手打ちそば・グリル まほろば」があります。そばとグリルに惹かれ、角煮そばを注文しおいしくいただきました。古民家を再生した内装は落ち着きと懐かしさがあり、ゆっくりした時間を過ごせました。



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