キャスリング 千早城編(日本100名城)

近鉄長野線富田林駅から金剛バスで金剛山登山口を下車し、そこから歩いて20分の所に千早城跡があります。

車の場合は、府道705号線から折れて、まつまさ金剛山麓駐車場から20分ほど歩いて千早城跡があります。。手前にも、さわやかトイレの駐車場という駐車スペースがあります。「まつまさ」というお店に100名城スタンプが置いてあります。

駐車場は、約30台ぐらい駐車できるスペースでした。100名城スタンプを押して、キャスリングスタートです!

駐車場横にある坂道から登り始めること10分ぐらいで、案内地図の看板があります。今来た道をまっすぐ進めば、金剛山山頂に行きますが、ここから山道の階段を登ります。

1331年 後醍醐天皇を中心にした倒幕勢力である楠木正成は、赤坂城で鎌倉幕府軍と戦います。

1332年 赤坂城の詰めの城として千早城を築城しますが、後醍醐天皇は捕えられ、隠岐島に流されます。

裏参道の階段を登り進んでいく事10分ほど歩くと・・・

表参道の道と交差します。上がった方に三の丸跡、二の丸跡、本丸跡、下がった方に四の丸跡広場があります。

1333年 上赤坂城で戦いが始まり、鎌倉幕府軍は落城させます。その間楠木正成は、千早城から西に10キロ先の金剛寺に書簡を送り、後醍醐天皇の子である護良親王の令旨に従い戦勝祈願をお願いします。

1333年 鎌倉幕府軍は、ついに千早城まで攻めてきました。しかし楠木正成の奇策により、幕府軍を撤退させます。

石階段を登り、もう少しで本丸です。

駐車場を出て20分、標高634mの千早城本丸跡に着きました。現在は千早神社で楠木正成などが主祭神です。

千早城での戦いで、鎌倉幕府軍の弱さが露呈しました。足利高氏や新田義貞など元々幕府軍でしたが、倒幕させる側になっていきます。

千早城での戦いの隙に、後醍醐天皇は隠岐島から脱出し倒幕の令を出します。播磨国の赤松氏、伊予国の河野氏、肥後国菊池氏が蜂起し、新田義貞は鎌倉幕府を攻め滅亡にむかいます。急峻な斜面に造られた甲冑を着た藁人形作戦は有名ですね。

千早城は、建武の新政以後南朝方の楠木氏の居城となりますが、1392年楠木正勝の時に、北朝方の畠山基国に攻められ落城します。

鎌倉幕府の滅亡から、後醍醐天皇の建武の新政、そして足利尊氏の挙兵で室町幕府につながる重要なお城である事が分かります。120分のキャスリングでした。



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