キャスリング 赤穂城編(日本100名城)

JR赤穂線播州赤穂駅から南に800m、15分歩いた所に赤穂城があります。

車の場合は、山陽自動車道赤穂インターを降りて、南に4.5キロ、10分ぐらいです。駐車場は3ヶ所あり、本丸駐車場(数台分)、城址公園西駐車場、城址公園東駐車場になります。週末は混む可能性があるので、西、東駐車場の方が良いようです。駐車料は無料です。今回は東駐車場に停めました。

駐車場内にある地図を見て、どのように攻めるか考えます。本丸櫓門の特別公開を行う日もあるみたいですね。歴史博物館も見てみたいですが、時間が無いので行けませんでした。

1466年~1483年の間に、岡光広が築城したと言われています。

最寄の清水門からキャスリングスタートです!東北隅櫓が綺麗に立っています。

1600年 姫路藩主池田輝政の弟、池田長政が赤穂領主となり本格的に築城していきます。

清水門跡から武家屋敷公園を進んでいきます。

1645年 池田輝興は、正室の黒田長政の娘を殺害した事で改易され、備中松山城の水谷勝隆の預りとなります。その後、茨城県の笠間藩から浅野長直が城主となります。城下町の造営と塩田開発を奨励していきました。

二の丸門虎口の縄張りの一部は、兵学者山鹿素行により変更されたと言われています。

1652年~1660年まで、浅野長直に仕えた兵学者、儒学者の山鹿素行の銅像があります。その軍学は、吉田松陰や大石良雄に影響を与えています。

甲州流軍学と山鹿流軍学を取り入れた縄張りです。(城郭検定2級出題)

1675年 浅野長矩が三代目赤穂藩主となります。山鹿素行に入門して兵学を学びます。家老大石良重(頼母助)の屋敷から広がる廻遊式の二の丸庭園がありました。

大石良重屋敷の薬医門が復元されています。本丸庭園に入ります。入園は無料です。

1701年 浅野長矩は、江戸城で吉良義央に対する刃傷事件を起こし浅野氏は改易となります。

明治の取り壊し以前の本丸門の写真があります。綺麗に復元されています。

本丸門の下に、100名城スタンプが置いてありました。本丸に入ると御殿跡の間取りが分かるようになっています。

御殿絵図を確認しながら、当時の御殿を想像してみます。赤穂藩庁としての機能もありました。

1701年 浅野氏改易後、隣の龍野城主、脇坂安照の預りとなります。

本丸御殿庭園と石組暗渠の排水路跡があります。浅野長直の時代から上水道を発達させ、東京の神田上水、広島の福山上水、赤穂藩上水と日本三大上水道に数えられ、城下町の各戸に上水が供給されていました。

1702年 栃木県烏山藩主の永井直敬が入城します。その後、赤穂浪士討ち入りの赤穂事件が起きます。

本丸庭園 大池泉とそこから見た本丸天守台石垣です。

江戸への気遣いなどで天守台には、天守が築かれませんでした。しかし天守台からは瀬戸内海と塩田が眺められた事でしょう。

本丸の水堀を見ていると、五稜郭のような星形になっている事に気づきます。死角を無くす為と大砲で攻撃する為の稜保式城郭になりますね。設計は甲州流軍学者の近藤正純で、途中で山鹿素行も加わった、実験的な最先端の城郭なのかもしれません。猫侍の下城時間です。

1706年 永井直敬が長野県飯山藩に異動となり、岡山から森長直が入城し、12代165年間森氏が赤穂藩を治めます。

厩口門の内側と外側です。特に外側から見ると鋭角な縄張りですね。横矢掛けが多用されています。

ボランティアのおじさんが、古地図で説明してくれました。やはりその道のプロに聞くとパンフレットには載っていない話が色々聞けて楽しいです。本丸門から下城し、大石神社に向かいます。

大石神社と赤穂四十七士の石造があります。人によっては、赤穂城よりもこちらがメインかもしれませんね。

大石神社で旅と家庭の安全を祈願します。赤穂城よりもこちらの方が人が多いです。

大石神社から大手門へ向かう途中に、大石邸の長屋門が復元されています。

大手門から出て大手隅櫓になります。ここから駅まで810mです。お土産屋さんや甘味処が何軒か並んでいます。大石神社もあるので、90分のキャスリングでした。



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