キャスリング 大内氏館(高嶺城と続日本100名城)

JR山口線上山口駅から北に700m、10分歩いた所に大内氏館跡があります。

車の場合は、大内氏館の南側に無料駐車場がありました。

1360年 24代目の大内弘世が館を築きました。京都の街に似せる為にお城ではなく居館にし、詰めの城として北西側に高嶺城があります。

大内氏の領土は、中国、九州地方にまでおよび、西日本の政治経済の中心となりました。当時の山口は、海外交易や京での戦乱を避けて、多くの文化人が訪れ、京都をしのぐ華やかさでした。来訪客をもてなす為の池泉庭園がありました。

庭園の庭石には豊後岩が使われており、ひっそりと佇んでいました。

1551年 大内氏家臣の陶晴賢の謀反により、大内義隆は自害しました。

1556年 陶晴賢を撃破した毛利元就が山口に侵攻、大内氏は敗走し大内氏館は役目を終えます。1557年 毛利隆元は、大内義隆を弔う為に龍福寺をこの地に再興しました。

大内氏の祖は、朝鮮百済国聖明王の第三王子の琳聖太子とされています。中世戦国の雄として約200年続きました。銅像は30代目大内義興です。

大内氏館の西側にがある西門です。

大内義隆が造ったとされる枯山水庭園の跡です。土塁も残っています。栄華を誇った大内氏から毛利氏に移り変わる歴史が詰まっています。

大内氏館から歩いて3分、道の角に大路ロビーがあります。ここに続100名城スタンプとパンフレットが置いてあります。

その横には、明治維新の志士が泊まったとされる十朋亭があります。

(おまけ)

大内氏館から南に1.6キロ、山口のB級グルメの春来軒バリそばです。



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