キャスリング 新宮城(続日本100名城)

JR紀勢本線新宮駅から北に700m、15分歩いた所に新宮城跡があります。

車の場合は、新宮城南側の道路から折れて、石畳の細い道を上がると丹鶴城公園駐車場があります。無料で10台ぐらい停められそうでした。

駐車場横にある石階段を登ってキャスリングスタートです!

平安時代のこの地域には、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)を統括していた熊野別当が代々居住していました。熊野別当の娘と結婚した源為義の娘は、丹鶴姫と呼ばれ、新宮城の別名である丹鶴城の由来となりました。

1573年~1593年に熊野地方を支配していた熊野水軍の堀内氏善は堀内新宮城を構えました。

1600年 関ケ原の戦いで西軍についた堀内氏は、大和新庄藩の桑山一晴に攻められました。

1601年 紀州藩主の浅野幸長の重臣、浅野忠吉は新宮城を築城しました。熊野川沿いの丹鶴山に築かれたお城の眼下には、熊野川が見え、水ノ手と呼ばれる船着き場があります。

1615年 一国一城令で廃城となりますが、1618年築城が認められ再築しますが、浅野忠吉は広島県三原城へ異動となります。本丸の虎口と出丸の石垣が美しいですね。

1619年 紀州徳川家の祖 徳川頼宣が紀州藩主として入国すると、家老の水野重仲が入城し、紀州新宮藩の初代藩主として治めます。

1667年 三代目水野重上の時に、新宮城が完成します。均整のとれた美しい切り込みハギの石垣が特徴です。

1707年の宝永地震など過去複数の地震に見舞われ、補修などを行ってきました。

水野氏の時に明治維新を迎え、新宮城の下に新宮藩屋敷が置かれました。1873年の廃城令で廃城となります。石垣に魅了された40分のキャスリングでした。

新宮城から東に500m、6分歩いた所に新宮市歴史民俗資料館があります。ここに続日本100名城スタンプが置いてありますが、資料館の2階に置いてあるので入館料が必要です。大人210円です。弥生時代から近代までの新宮の歴史が学べます。

資料館横には阿須賀神社があり、中世の熊野詣にはここもルートになっていたそうです。

(おまけ)

新宮城から南西に50キロ、車で1時間走った所に、古座川の一枚岩があります。

約1500年前 巨大な熊野カルデラのマグマがゆっくり冷えた塊の一部が、隆起によって地上に出てきました。今では信じられない大規模な地球活動の営みが垣間見える場所で、その大きさは圧巻です!



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