キャスリング 志方城編

JR山陽本線宝殿駅から北に4キロ、55分歩いた所に志方城跡(観音寺)があります。

車の場合は、山陽自動車道加古川北インターから南に4キロ、10分ぐらいです。現在は、宝積山観音寺になっており、画像のような駐車場に停めました。

1492年 赤松氏の家臣であった、櫛橋則伊(くしはし のりこれ)により築城されたと言われています。

1578年 羽柴秀吉による毛利討伐の加古川評定が行われ、、三木城主別所氏は羽柴氏と決裂します。4代目城主櫛橋政伊は、別所長治とともに羽柴秀吉軍と対戦します。しかし周りの野口城、神吉城が落とされ羽柴軍に降伏します。櫛橋政伊の妹の光は、黒田孝高の妻となっており、黒田孝高の助言もあり、櫛橋一族は黒田家臣となります。

観音寺の山門の高低差付近が内堀跡として残されています。

1587年 志方城落城後、宝岩宗珍和尚は城主の墓碑を守るため、本丸跡に観音寺を建立しました。お寺北側にはかつての二の丸だった志方小学校があります。お寺敷地内には櫛橋氏の墓石などがあります。加古川周辺は城跡が多いので、行くと歴史の点と点がつながっていきます。20分のキャスリングでした。



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