キャスリング 加古川城編

JR山陽本線加古川駅から西に1キロ、13分歩いた所に加古川城跡(称名寺)があります。

車の場合は、称名寺参道の正面に参拝者用の無料駐車場があります。

1184年 平氏討伐の功績により、糟屋有季は源頼朝からこの地を与えられました。播磨国の守護所として機能していました。

1221年 糟屋有教により築城されたと言われています。

1577年 羽柴秀吉による毛利討伐の軍議が加古川城で開かれ、加古川評定と言われています。12代目の糟屋武則は羽柴軍につき小姓頭となります。

加古川評定は、三木城の別所氏、御着城の小寺氏、龍野城の赤松氏など群雄割拠する中、黒田孝高により織田軍につくという結論が出ましたが、名門意識のある別所氏だけは羽柴秀吉の出自などを軽んじており軍議が決裂しました。そして悲惨な三木合戦へと続きます。

小姓頭となった糟屋武則は、賤ヶ岳の戦いで戦功をあげ七本槍の一人に数えられます。関ヶ原の戦いでは、西軍につき領地没収、お家が断絶しました。

歴史の運命が決まった加古川城で、三木城、御着城、神吉城、志方城などの行く末が決まりました。しかし一族や血縁の結びつきの強さを感じる場所です。

南北朝時代の塩治高貞が足利尊氏軍と戦う七騎供養塔もあります。20分のキャスリングでした。



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