キャスリング 宮津城編

京都丹後鉄道宮豊線宮津駅から北に300m、4分歩いた所に、宮津城跡があります。

車の場合は、宮津城跡は国道178号線沿いなので駐車場はありませんでした。どこかコインパーキングか商業施設を利用する事になると思います。

宮津城の看板と石垣が置かれています。

宮津は、古代より丹後の中心でした。一色氏が支配し城郭や砦が幾つか築かれています。

1579年 織田信長の丹後侵攻により、細川藤孝と明智光秀は一色氏を滅亡させます。戦功により、細川藤孝は丹後国を与えられ宮津城を築城します。明智光秀は丹波国を与えられ亀山城、福知山城を築城します。

先ほどの石垣があった場所から西に100mの大手川沿いには、しらかべのみちという遊歩道あがあり城下町である事を教えてくれます。

1582年 本能寺の変で細川藤孝は、明智氏とつながりが無いことを示すため出家し細川幽斎と名乗り田辺城に隠居します。息子の細川忠興が宮津城主となりますが、会津征伐に行っている時に、石田三成から田辺城は攻撃を受け開城します。

1600年 関ヶ原の戦い後、細川氏は大分に異動となり、京極高知が入城します。宮津城の本丸には、七基の二重櫓を造ります。

その後は、永井氏、阿部氏、奥平氏、青山氏と城主が変わりますが、1758年松平資昌が入城し、7代続き明治維新を迎えました。

しらかべのみちから更に南に100m歩くと、江戸時代に藩校「禮譲館」が置かれていた、宮津小学校があります。横には太鼓門が復元されており、宮津城唯一のシンボルとして子供たちを見守っています。30分のキャスリングでした。



シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする