キャスリング 田辺城編

JR舞鶴線西舞鶴駅から北に500m、6分歩いた所に田辺城跡があります。

車の場合は、田辺城跡に北側にある、舞鶴市南田辺駐車場が便利でした。1時間以内100円ですが所定の施設の手続きで最初の1時間が無料です。

市内に忽然と現れる櫓でテンションが上がります。復元櫓で田辺城資料館となっています。入館は無料です。

1578年 織田信長の丹後攻めで細川藤孝は支配していた一色氏を滅ぼし、始めは宮津城を拠点としました。その後田辺城を築き、細川藤孝は宮津城に隠居し細川幽斎と名乗り、子の細川忠興が入城しました。

櫓の二階部分が資料館になっています。2020年NHK大河ドラマで田辺城も舞台になります。楽しみですね。

1600年 関ヶ原の戦いの時、城主の細川忠興は徳川家康の東軍になったので、上杉景勝を攻める為に(会津征伐)会津に行っていました。その隙を狙い西軍の石田三成は、福知山城主小野木重次、亀岡城主前田茂勝、織田信包、小出吉政など15,000の兵が田辺城を取り囲みました。

資料館には、田辺城が取り囲まれた「田辺城の戦い」の絵図や様々な資料があり勉強になります。

包囲された田辺城には、細川忠興の父細川幽斎、実弟の細川幸隆など500の兵でした。しかし文化人であり歌道の師と仰ぐ西軍もいたので攻撃はあまり行わず、開城に至りました。

細川幽斎は、前田茂勝の亀山城に移されました。田辺城の戦いは、広義として関ヶ原の戦いの一環として解釈される事もあります。舞鶴公園として整備され気持ちよく散歩ができます。

1600年 細川忠興は関ヶ原の戦いの戦功を認められ、北九州小倉に異動となります。長野の飯田城から京極高知が入城しますが、宮津城に本拠地を移しました。この時一国一城令で田辺城は壊されました。京極氏は3代続いた後、兵庫県豊岡城に異動となり、1668年牧野氏が入城し、明治維新を迎えます。

田辺城の戦いの敵方(西軍)を見ると、既に関ヶ原の戦い勝敗がついているような気がしました。50分のキャスリングでした。



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