キャスリング 米子城編(続日本100名城) 

JR山陰本線米子駅から西に1.4キロ、18分歩いた所に米子城跡の麓に着きます。

車の場合は、お城に西側に無料の湊山公園駐車場があります。結構な台数が停められます。

1470年 尼子清定は山名氏の出雲攻めを撃破し、この頃築城されたと言われています。

車を置いて登り口からキャスリングスタートです!

1562年 毛利氏の尼子氏攻めで、山名氏が支配します。

登城口から山頂までは15分ほどです。階段等整備されていますが、トレッキングシューズなどが良いでしょう。

1569年 尼子氏再興の旗揚げをした山陰の麒麟児山中幸盛は、米子城主山名之玄と結びますが、毛利方の吉川元春に攻められ山名之玄に自害しました。

5分登ると内膳丸があり、二つの登り口に分かれます。

登り石垣の説明板がありました。米子城の築城に関わった吉川広家は朝鮮出兵に参加しており、倭城に使われた登り石垣を米子城にも駆使しました。中海を見たかったので、遠回りのルートで登ってみます。

5分ほど歩くと木々の隙間から中海が見えました。爽快な気分です。さらに10分登ると山頂に着きました。水手御門跡からの入城です。

本丸には東屋があります。まずはここで一息いれます。

続日本100名城スタンプもここに置いてあります。もう一カ所は、米子市立山陰歴史館に置いてあります。

1591年 吉川広家は、月山富田城に代わるお城として湊山に築城を始めます。標高90mの湊山頂上部に築かれた総石垣の本丸です。しかし関ヶ原の戦い後、西軍だった吉川広家は岩国城に異動となります。

1600年 中村一忠が城主、初代米子藩主となり米子城と城下町を整備します。

米子市街が一望できる本丸には、五重の天守閣と四重櫓が並ぶ壮麗なお城でした。

1609年 中村一忠が急死、中村氏は改易となり、加藤貞泰が入城します。

1617年 加藤貞泰が大洲城へ異動となり米子藩は廃藩となります。伯耆、因幡が鳥取藩池田光政の所領となり、米子城には家臣の池田由成が城代となります。

1632年 池田光政が岡山城へ異動となり、池田光仲が鳥取藩主となり、城代として家老の荒尾氏が入城します。明治維新まで続きました。

途中にある標高52mの内膳丸は、中村一忠の家老横田内膳正村詮が二重櫓と武器庫を造ったのが由来です。

石垣だけでも迫力のある米子城は50分のキャスリングでした。夏は暑いのと虫が多いので対策して行って下さい。

別の日に行った時の追加画像です。国道9号線に近い枡形門周辺です。ここからも登山ルートがあります。

石垣などしっかり残っており、ここだけでも見応えがあります。

野球場や鳥取大学付属病院、公園などの施設がお城周辺にあります。米子駅から岡山駅までは、特急やくもで約2時間15分です。



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