キャスリング 浜松城編(続日本100名城)

遠州鉄道遠州病院駅から西に1キロ、10分歩いた所に浜松城があります。

車の場合は、浜松城に隣接する浜松市役所本庁駐車場があります。30分100円です。お城の北側には、無料の浜松城公園駐車場があります。

市役所の駐車場からキャスリングスタートです!

市役所の辺りは、表御殿、奥御殿のあった二の丸でした。二の丸から一段上がった所が本丸です。さらにその上に天守門と天守台があります。

本丸から天守のある石垣を見上げてみます。約17mの高さがあります。

1504年~1520年の間、築城主は不明ですが、今川氏家臣の飯尾氏が城主を務めていた曳馬城が浜松城の前身と言われています。天守門の横には、鏡石ががあります。

天守門の下からは、丸瓦を使った排水溝が発見されました。さらに鯱瓦の一部、漆喰などを参考に忠実に復元されました。

1570年 徳川家康は、武田軍の侵攻に備えるため本拠地を三河国岡崎から遠江曳馬城に入城し、浜松城へと改称しました。お城の拡張や城下町の形成を進めました。

1573年 浜松城の空城計で有名な三方ヶ原の戦いで、徳川家康は最大の危機を迎えました。

本丸とは別に、東西56m、南北68mの天守曲輪と呼ばれる区画があり、東の天守門と西の搦手の埋門を配置しています。また銀明水と呼ばれる井戸など計10本の井戸がありました。

1辺21mの天守台の東側には付櫓と呼ばれる張り出し部分があります。現在は、復興天守閣の入り口に利用されています。天守は、第二代城主の堀尾吉春の築いたとされ、三重四階の望楼型と言われています。

1586年 徳川家康は、浜松城から駿府城に拠点を移します。在城期間は17年でした。

復興天守閣は大人200円です。入り口の所に、続100名城スタンプが置いてあります。

徳川家康の精巧な人形と、三方ヶ原の戦いのしかみ像の絵があります。

1590年 豊臣秀吉の家臣、堀尾吉晴が入城します。その後次男の堀尾忠氏が継ぎますが、関ヶ原の戦いの功績で出雲国月山富田城に異動となります。

天守閣から西側は森になっており、西端城曲輪跡、埋門跡、作左曲輪跡があります。下を見ると櫓台ような石垣が見えます。天守曲輪の南東には隅櫓があった事が確認できました。

徳川四天王が加わった徳川十六神将絵や徳川家康にまつわる物が展示されています。

松平忠頼、太田資宗、青山宗俊、水野忠邦などの譜代大名が次々と入城します。浜松城主から幕府の重役になる事が多かったので出世城と呼ばれています。

天守閣と天守門に入館できます。櫓の建築構造など解説しています。

浜松城は明治維新後に廃城になりますが、1958年に復興天守が再建されました。

本丸には、若き日の徳川家康像があり、シダを持っています。シダは「歯朶」と書きますが、「歯」は年齢、「朶」は枝の意味があり長寿と子孫繁栄の意味があります。実際に実現している事が凄いですね。60分のキャスリングでした。

(おまけ)

浜松城から北に10キロ、車で25分の所に三方原古戦場があります。

武田軍が浜松城を攻めて来るという予想に反し、浜松城を素通りし浜名湖の堀江城を目指しているように見えたので、徳川家康は家臣の反対を押し切り浜松城を出て武田軍を追いかけました。三方原に着いた頃、武田軍は魚鱗の陣で待ち構えており、2時間の戦いで多くの兵士を失い敗走します。この敗走で脱糞など様々な逸話がありますが、江戸幕府260年の礎となる経験だったのかもしれません。



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