キャスリング 金ケ崎城編

JR北陸本線敦賀駅から北に3.3キロ、40分歩いた所に金ケ崎城跡があります。

車の場合は、北陸自動車道敦賀インターを降りて、北に2.4キロ、7分走った所に、無料の金ケ崎城跡駐車場があります。

1180年~1185年 源平合戦のひとつである「治承・寿永の乱」平通盛が木曽義仲との戦いの為に築いたと言われています。駐車場に車を停めて、月見御殿まで20分ぐらい歩きます。

西に金ケ崎城、東には金ケ崎城の支城である天筒山城(てづつやま)がありハイキングコースになっています。金ケ崎城の月見御殿跡まで0.5キロ、手筒展望台までは1.5キロです。今回は時間の関係で月見御殿までのキャスリングです。

1336年 新田義貞は、南朝の総大将として恒良親王、尊良親王と共に金ケ崎城に入城しましたが、北朝方の斯波高経が金ケ崎城を攻め、新田義貞は金ケ崎城を脱出しましたが、尊良親王は自害、恒良親王は北朝方に捕えられます。

階段を登り始めて3分で、尊良親王、恒良親王が祀られている朝倉神社、金崎宮に着きました。神社の左手の花換の小道からさらに登っていきます。

織田徳川連合軍の朝倉攻めに際に義弟である浅井長政が寝返り、お市の方が「袋の鼠」である事を伝えた話など、朝倉神社の横には、金ケ崎城の戦いを分かりやすく解説した看板があります。イラストが可愛いです。

福井県内には、367の城郭があり、北陸と京都の境目で攻防が繰り広げられていました。

金ケ崎城、手筒山城のジオラマがあり全体像が分かります。

朝倉神社から5分、江戸時代末期に、この辺りから経塚が発見されました。明治時代になり、尊良親王の墓所と解し見込地として石碑が建てられました。

月見御殿まであと3分です。道案内があるので分かりやすいです。

南北朝時代の金ケ崎の戦いの碑と古墳があります。

1570年 織田・徳川連合軍は、越前の朝倉義景の金ケ崎城を攻めました。しかし義弟である近江の浅井長政が裏切り、挟み撃ちになる事を恐れ、敦賀から朽木を経由して京都に戻りました。迅速且つ統率の取れた鮮やかな撤退だったとのことです。(金ケ崎の退き口)

駐車場から20分で月見御殿に着きました。月見御殿からは、セメント工場と火力発電所の煙突が見え決して良い眺めとは言えませんが、敦賀湾が一望できます。

下山して旧敦賀貨物ターミナルからの金ケ崎城の先端です。隣には赤レンガ倉庫や気動車もあり、物流などの要衝地だった事がうかがえます。駐車場から往復60分のキャスリングでした。

駐車場横には、カンテラ(テールランプなど)の燃料を保管していたランプ小屋があります。



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