キャスリング 岡城編(日本100名城)

JR豊肥本線豊後竹田駅から東に1.5キロ、21分歩いた所に岡城跡駐車場があります。

車の場合は、無料の岡城跡駐車場があります。

史跡保存料として大人300円の入城料です。窓口では巻物タイプのパンフレットを渡され、日本100名城スタンプが置いてあります。

まずは地図を見て岡城の全体像を掴みます。どうやら東西に長く西側の大手門から入る方が主なようです。

駐車場から大手門に向かいます。途中岡城を模した民宿やお土産物屋があります。

1185年 緒方惟義が源義経を迎える為に築城したのが始まりとされています。

1334年 南北朝時代に豊後の守護大名大友氏一族の志賀貞朝により、お城は拡張され岡城と名づけられたと言われています。

風情のある大手道が見えてきました。大手道には石塀が設けられ、石塀の頂部は半円形の「かまぼこ石」が置かれています。(城郭検定2級出題)

1586年 衰退した大友氏を薩摩の島津氏が倒そうとしますが、岡城の志賀親次は島津軍を撃退し、豊臣秀吉から褒められました。

さらに登ると大手門の石垣が見えてきました。西洋城郭を思わす石垣の形が素敵ですね。

1593年 文禄の役で大友吉統は、小西行長の援軍要請を誤認して撤退してしまった責任を問われ、所領を没収され岡城には、播磨国三木城から中川秀成が入城します。

中川秀成時代の岡城の大手門は東側に設けられていましたが、岡城に立ち寄った藤堂高虎は、西向きにした方が良いと助言し、現在の大手門になったと言われています。

岡城(岡藩)は、中川氏により明治の廃藩置県まで治めます。大手門をくぐり、東に350mの本丸に向かいます。

三の丸の高石垣が見えてきました。柵代わりのロープが張られていますが、急ながけになっているので気をつけて下さい。虎口になっている西中仕切跡をくぐります。

三の丸の入り口となる太鼓櫓跡が見えてきました。ここから三の丸になります。

三の丸から北西を見ると久住連山が一望できます。

二の丸に上がります。数寄屋風の月見櫓や風呂屋などがあり、遊興の場所でした。

二の丸では、瀧廉太郎の銅像が迎えてくれます。銅像と背景のくじゅう連山がマッチします。少年時代を竹田で過ごした瀧廉太郎は、明治の破却後に荒廃した岡城から「荒城の月」作曲します。

石階段を上り、本丸に上がります。8月の真夏でしたが、秋の装いも呈していました。

本丸跡に着きました。標高325mの天神山に築かれた山城の岡城からは、阿蘇山も見えます。

1593年 中川秀成が入城した際に、城内東側にあった祠を移転し、中川歴代藩主が守り神とし、菅原道真公を祭神とした天満神社です。島津三万の大軍の攻撃を受けながらも難攻不落の城として、験を担ぐ受験生も多いそうです。

本丸から西の大手門に戻ります。東の東中仕切跡や三楽亭跡なども見たかったのですが、時間の関係で引き返しました。違う季節にまた来たいと思います。三の丸下には、家老屋敷跡武具方跡などがあります。

大手門の形が気に入ったので、大手門から下城しました。夏草の生い茂る雰囲気のある素晴らしい城跡です。春、秋にまた来たいと思います。60分のキャスリングでした。



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