キャスリング 二本松城編(日本100名城)

JR東北本線二本松駅から北に1.2キロ、17分歩いた所に二本松城跡(霞ヶ城跡)の駐車場があります。途中の二本松駅から450m、徒歩6分の所に二本松市歴史資料館があり、そこに100名城スタンプが置いてあります。

車の場合は、東北自動車道二本松インターから北東に1.7キロ、5分で二本松城跡駐車場に着きます。駐車場は広く無料です。

箕輪門から入城する前に、戊辰戦争で命を落とした二本松少年隊の像があります。板垣退助率いる明治新政府軍と徳川旧幕府軍二本松藩の13歳~17歳までの62名が出陣し大義の為に戦い果てました。

1414年~1443年 奥州探題畠山氏の7代目二本松満泰が築城しました。二本松城の正門にあたる箕輪門からキャスリングスタートです!丹羽光重の建造の箕輪門は戊辰戦争で無くなりましたが昭和57年に再建されました。

1585年 伊達正宗は二本松城を攻め1586年に落城し二本松氏は滅亡しました。

伊達正宗は、片倉景綱、次に伊達成実を城代としました。箕輪門をくぐり虎口を越えて三の丸へ向かいます。

1591年 豊臣秀吉は、伊達正宗を岩出山城に移動させ、会津若松城主、蒲生氏郷の支城としました。三の丸は丹羽氏が居住した御殿跡になっていました。横には、二本松生糸として地方の発展に貢献した山田脩氏の銅像があります。10月から始まる菊人形祭りの準備が始まっていました。(8月29日訪問)

三の丸から本坂御殿に向かい、階段や坂道を上って本丸に向かいます。ここから本格的なキャスリングです。5分で二本松藩士自刃の地があります。

1868年 新政府軍7千名、二本松藩千名は戦いを繰り広げ7月29日に二本松城は落城し、家老丹羽一学、城代服部久佐衛門、小城代丹羽新十郎がここで割腹しました。

1598年 蒲生氏は異動となり、上杉景勝が若松城に入ると上杉氏家臣の下条忠親が城代となります。

さらに5分でお城に西側の搦手門に着きました。正面である大手門の裏門と搦手門と呼びますが、蒲生氏時代の門に、加藤氏時代に石材を使って整備した事が分かりました。

1600年 徳川家康は、上杉景勝を米沢に異動させ、会津には蒲生氏が復帰します。

1627年 蒲生忠知は、松山城に異動となり会津には加藤嘉明が入ります。

階段を上ると本丸が見えてきました。もう少しです。

今見えている新しい石垣は加藤時代で、その裏にある古い石垣は蒲生時代のものです。

1643年 加藤氏が改易となり、白河小峰城の丹羽光重が入城します。二本松藩庁として天守の石垣と三重の天守が築かれました。明治まで丹羽氏が治めました。

天守台近くには、戊辰戦争で壮絶な最期を遂げた自刃の碑があります。

天守台に上ると西側には安達太良山が見えました。

南東側には二本松市内が見えました。標高345mの白旗ヶ峰に築かれた天守台からの見晴しはとても綺麗でした。

1868年 戊辰戦争で二本松藩は奥羽越列藩同盟に参加し、新政府軍と戦いましたが落城しました。

天守の東側の東櫓台が見えてきました。平成3年から石垣の修築工事を行っています。

天守台から山道を下りていくと大石垣が見えてきました。蒲生氏の穴太衆により築かれた穴太積みの石垣は圧巻です。

大石垣の横には、丹羽氏時代の蔵屋敷跡、さらに下りると今でも水が湧き出る日影の井戸があります。

駐車場まで戻ってきました。駐車場の東側には、二本松藩5代目丹羽高寛が藩士の戒めとして石に刻んだ戒石銘碑があります。行政の規範として重要な戒めです。

箕輪門や三の丸までは散歩気分でしたが、天守までは結構大変で、60分のキャスリングでした。天守まで最短で行きたい方は、乙森駐車場がありますので城内地図で確認して下さい。



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