キャスリング 小田原城編(日本100名城)

JR東海道本線、小田急小田原線、小田原駅から南に750m、10分歩いた所に小田原城があります。

車の場合は、南入口に藤棚臨時駐車場があります。60分300円でした。今回は南入口からキャスリングスタートです!(2018年8月キャスリング)

江戸時代の藩主大久保氏の頃に二の丸に鉢植えしていた、樹齢200年と推定される藤の木が迎えてくれます。

室町時代 西相模を支配していた大森氏が築城したと言われています。

江戸時代にお茶を献上する為の空の茶壺を保管する蔵があった事からお茶壷橋と呼ばれる橋を渡り、お茶壷曲輪に向かいます。

1495年 伊豆地方を支配していた伊勢盛時(北条早雲)が大森氏から城を奪い、戦国大名北条氏が5代まで続きます。

①北条早雲→②北条氏綱→③北条氏康→④北条氏政→⑤北条氏直

お茶壷曲輪は、三の丸南側から二の丸に入るための最初に曲輪で、敵をわざと侵入させ撃退する「捨曲輪」とされていました。土塁も残っていました。

1544年 北条氏康は甲斐の武田信玄と、上杉氏を共通の敵とし、甲相同盟を組みます。

L字型の馬屋曲輪は、二の丸に入る為の重要な位置にありました。

1561年 上杉謙信が攻めて、小田原城の戦いが起きますが、北条氏政の籠城戦により上杉氏の攻撃を防ぎ切りました。その後、総延長9キロに及ぶ小田原城の総構えが造られていきます。

二の丸の表門の銅門(あかがねもん)です。平成9年に復元されました。

銅門は、石垣による桝形、内仕切り門、櫓門を組み合わせた桝形門となっています。

銅門の土塀の断面模型です。竹小舞と厚い土壁と漆喰で堅固に固められています。

1590年 豊臣秀吉の小田原征伐は、戦国オールスターが集まる総力戦でした。ボランティアの方がこの戦について熱心に話して下さり、勉強になります。

北条氏を阻む関東の大名の佐竹氏、宇都宮市などが攻め3ヶ月の籠城戦の末、開城します。北条氏政、北条氏照は切腹し、北条氏直が高野山に追放されます。

本丸東堀の常盤木橋を渡ります。

小田原征伐後、徳川家康は北条氏の領土を与えられ、家臣である大久保忠世は45,000石を与えられました。

本丸の正面の常盤木門は、最も大きく堅固に造られています。昭和46年に復元されました。

常盤木門をくぐると本丸です。東西150m、南北114mの規模で、西に天守閣、中央に本丸御殿がありました。本丸御殿は、徳川将軍家の宿所として使われていました。

1619年 阿部正次が入城します。(小田原城は幕府直轄領の番城となります)

天守閣に入城します。大人500円です。

1632年 稲葉正勝が入城します。

撮影禁止の所もあるので注意して下さい。

天守閣から南西方向の笠懸山を見てみます。1590年小田原征伐の際に、豊臣秀吉が築城し石垣山城がありました。

天守閣から南東には太平洋、大手門方向の東には小田原市街が見えます。

天守閣から北には、小田原駅、西側には小田原城の詰めの城の八幡山古曲輪が見えます。

1686年 再び大久保氏が入城し、1871年廃藩置県まで治めました。

天守から下りて二の丸御殿跡です。藩主の居館や政庁として使われていました。

三の丸の大手門から入ると、二の丸の隅櫓があり、二の丸の入り口である馬出門を見下ろす事ができます。武具の保管所でもあった為、防御の要の櫓でした。

二の丸の学橋を渡り下城し、ここまで90分のキャスリングでした。JR小田原駅から見た小田原城です。北条氏の内政の上手さなども分かりました。

(おまけ① 小峯御鐘ノ台大堀切跡)

小田原城から西に700mほどの所に、小田原城総構えの一部である大堀切があります。

小田原城から西に約700mで、箱根山の尾根伝いに造られた標高123mの所にある大堀切です。

小田原城の周り9キロを囲む外郭部分を総構えと言っています。土塁と堀切の一部分は車で通行できます。この辺りは三の丸の一部となります。

車を空きスペースに停めて散策します。堀幅は約30m、深さ約10mの大きな堀で、堀底は、北条氏お得意の障子堀だったそうです。

大堀切の上には、幅約4m、高さ2mの土塁が残っています。

(おまけ② 小田原征伐時の徳川家康陣地)

小田原城から北東に約1.5キロの所に、徳川家康陣地があります。

1590年 豊臣秀吉の小田原征伐時の徳川家康の陣地は、箱根、山北、足柄の三方から約三万の兵が合流し、110日間の戦いの陣地となりました。



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