キャスリング 三原城編(続日本100名城)

JR山陽本線、山陽新幹線三原駅から徒歩1分で三原城です。というよりかは、三原城があった所に三原駅ができました。

車の場合は、駅前のコインパーキング等を利用します。

三原駅南口の前にはみはら歴史館があります。ここには続100名城スタンプとパンフレットや展示物があり事前学習できます。入館も無料でありがたいですね。(※新高山城跡の続100名城スタンプも置いてあります)

1550年 毛利元就の三男の小早川隆景は、三原城から西に約10キロの沼田川沿いの高山城に入城しました。

1552年 小早川隆景は、高山城の対岸に新高山城を築きました。

1567年頃から、瀬戸内海を掌握する小早川水軍を効率的に動かす為に、三原城を築き始めました。

みはら歴史館の裏手のペアシティ西ロード沿いには、お堀と石垣と本丸中門跡があります。今では海まで遠いですが、築城時は目の前が海の浮城でした。

1585年 小早川隆景は、四国征伐で武功をあげ、豊臣秀吉から愛媛県湯築城を与えられます。本拠地は三原城のまま、弟の小早川秀包や河野氏に伊予を統治しました。

三原駅まで戻り、天守台跡の看板に従い階段を上ります。

1587年 小早川隆景は、九州征伐で武功をあげ、豊臣秀吉から福岡県の名島城を与えられます。

上に上がると天守台の真ん中に線路が突き抜けている事が分かります。

天守台から北側を見ると桜で綺麗な桜山が見えます。三原城の詰めの城として桜山城がありました。

1595年 豊臣秀吉から五大老の一人に任ぜられます。その後、豊臣秀吉の甥である羽柴秀俊(小早川秀秋)を養子にし、三原城に隠居します。

下に下りてお堀近くから石垣と桜山のショットです。天守台の西側には、小早川隆景の像があります。

お堀の周りは旧山陽道となっており、宿場町としての機能がありました。現在では、歴史公園として散策できます。

明治時代の三原城の写真です。お城を貫くように線路が敷かれ、石垣などは、糸崎港の資材に転用されました。

1597年 小早川隆景が亡くなり、1600年の関ヶ原の戦い後、福島正則が安芸、備後を治めます。福島正則の養子、福島正之が入城します。

1619年 福島正則は改易となり、浅野長晟の家老、浅野忠長が新宮城から入城し、広島藩の支城として幕末を迎えます。

みはら歴史館に書いてありましたが、小早川隆景と黒田官兵衛は仲が良かったそうです。知略に優れた者同士だったからでしょうか。三原城というよりかは、小早川隆景の出世や人柄に興味が湧き、ますます知りたくなりました。60分のキャスリングでした。

石垣の中に入ると三原駅に入れる日本一アクセスの良いお城です。新幹線から見た新高山城の一部だけ撮れました。時間があれば新高山城に行ってみたいです。



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