キャスリング 姫路城編(国宝5城・世界遺産8城・現存天守12城・日本100名城)

JR山陽新幹線、山陽本線、山陽電鉄姫路駅から北に1.8キロ、25分歩いた所に姫路城があります。

車の場合は、姫路城の南側に大手門駐車場(普通車555台)があります。他にも、南東側に大手前公園駐車場(普通車323台)、東側に姫山駐車場(普通車246台)があります。

駐車料金は、最初の3時間600円でした。

大手門駐車場の正面には、お堀と石垣が広がります。これだけで圧巻です。

日本国内の世界遺産7城、国宝5城、現存天守12城の1つである姫路城の南側の大手門からキャスリングスタートです!(城郭検定2級出題)

1346年 赤松貞範の居館や砦が始まりとされていますが、御着城の小寺氏の家臣、黒田重隆、職隆親子が御着城の支城として、姫山に築城した事が始まりとも言われています。

大手門をくぐると芝生の広場がある三の丸です。芝生の左手方向に歩くと入城口があります。

入城料はお城の中でも日本一高い1000円です。平成の大修理で600円から1000円に引き上げられましたが、修復費用や世界遺産のクオリティを維持するには安い方かもしれません。

入城口の左手に管理事務所があり、100名城スタンプが置いてあります。入城するとまずくぐるのは、菱の門です。(城郭検定2級出題)

菱の門をくぐると右手に三国堀があります。「いの門」をくぐると二の丸に入り、大天守と石垣が迫ってきます。らせん状の縄張りなので、周りながら近づて行くのでワクワク感があります。本来は防御の為ですが、今は平和な時代ですね。

1576年 織田信長の命を受け羽柴秀吉は毛利攻め(中国攻め)を開始します。小寺氏は毛利方について滅ぼされましたが、家臣だった黒田氏は秀吉の仕える事になりました。本丸は羽柴秀吉、二の丸は黒田孝高(黒田官兵衛)が使用しました。

「ろの門」をくぐると長塀が続き、向こうに見える大天守がまた良いです。「はの門」をくぐると「にの門」です。

1580年 三木城、英賀城が落城し、さらなる中国平定の為、黒田孝高は姫路城を羽柴秀吉に献上し、姫山を中心に近世城郭として整備し「姫路城」と改名します。大規模な城下町を形成し、山陽道を曲げて城下南に通るようにしました。黒田孝高は、姫路城に近い国府山城に移りました。(城郭検定二級出題)

「ほの門」をくぐると、城内で唯一の築地塀の油壁があります。

1582年 織田信長が本能寺の変で討たれ、羽柴秀吉は、山崎の戦いで明智光秀を討ちました。

水二門をくぐり、ようやく大天守にたどりつきます。靴を脱ぎ入城します。

1583年 秀吉は天下統一の為に、姫路城から大坂城に拠点を移しました。弟の豊臣秀長が姫路城に入城しますが、1585年大和郡山城に異動になり、義兄の木下家定が城代となります。

五重六階の大天守には地下があるので七階になります。大天守の一階には、武者走りがあります。

1600年 関ヶ原の戦いで戦功をあげた池田輝政は、豊臣方の大名が多い西日本の牽制をする意味で、三河吉田城15万石から播磨52万石で入城します。その際に、船上城、赤穂城、三木城、龍野城などの支城を整備します。

二階は一階と似ていますが、隅部には一階から続く巨大なすじかいがあります。

1617年 池田氏は因幡鳥取城で移動となり、伊勢桑名城から本多忠政が入城します。

二階は、天守入口に架かる入母屋破風の屋根裏空間の破風の間です

三階は天井が高く解放感があります。目を引くのは地階から五階まで続く東大柱、西大柱です。5700トンの荷重を支えており、根継ぎ、継ぎ足しされていますが、築城当時は一本ものの木だったようです。

五階は大広間として使われていたと言われています。唐破風ごしに西側を見ると懸魚と西の丸が見えます。大柱はここで終わっており、最上階の梁を支えています。

最上階の六階には、刑部神社(おさかべじんじゃ)が祀られています。姫路城が姫山に築かれる前にあった神社です。備前門屋敷の火災、空襲など奇跡的に炎上を免れた事から姫路城の守護神として崇められています。姫路城から南を見ると三の丸、姫路駅と大通りが見えます。

元々、四隅には窓が開く予定でしたが、耐震、耐風、防御の観点から壁にして塞いだ事が分かりました。昭和の大改修で発見されたとの事です。(城郭検定2級出題)

所々に武者隠しなどの仕掛けがあります。

この時代にトラスの考え方である筋交いを使用しているのは珍しいですね。

下に下がり、渡櫓に入ると展示物があり、姫路城の総構えが分かるジオラマがあります。どこのお城もそうですが、城下町は非常に広い事が分かります。

西側に出て本丸(備前丸)の広場から大天守を見上げてみます。修理したとはいえ巨大な木造建築物だと考えると規格外の大きさです。

帰りは東側の備前門から下城します。門の右手には石棺と呼ばれる巨石があります。

備前門を出ると、帯の櫓があります。地下に行く埋門があります。埋門を出ると腹切丸に通じます。

りの門を出ると、上山里という曲輪です。播州皿屋敷のお菊井戸があります。

「ぬの門」の左手前の「りの一渡櫓」内には、時代ごとの鯱が展示されています。

「ぬの門」を出ると、扇の勾配が目に留まります。

西の丸に移動して、「ワの櫓」から渡櫓→ヲの櫓→ルの櫓→西の丸長局(百間櫓)→ヌの櫓→化粧櫓を歩きます。

1618年 千姫は豊臣秀頼に嫁ぎますが、大坂の陣で離別し本多忠刻と再婚し姫路城で過ごしました。化粧櫓は、徳川秀忠と江の長女、千姫の為に造られた櫓です。

その後、本多氏→奥平松平氏→越前松平氏→榊原氏と入れ替わり、1749年上野前橋城から酒井氏が入城します。

姫路城は天守のある姫山と西の丸の鷺山を一体化しています。姫山の縄張りは池田輝政ですが、鷺山の縄張りを担当したのは本多忠政でした。(城郭検定2級出題)

千姫の化粧櫓と大天守です。長局や他の櫓は、女中の住まいや倉庫として使われていました。

1868年 鳥羽伏見の戦いで、徳川慶喜の老中だった姫路城主酒井忠惇は幕府方として新政府軍から包囲され、姫路城を明け渡します。

化粧櫓を出て二の丸手前から見ると小天守、大天守が美しく見えるポイントです。お菊の井戸があった山里丸をしたから見た石垣部分は1580年ぐらいからの石垣と言われ、羽柴秀吉時代の石垣です。

姫路城のキャスリングは3時間でしたが、まだまだ知らない仕掛けや知らない歴史がある事を後で知りました。もう2、3回は行かないと攻略は難しそうですね。

(おまけ)平成の大修理は、2009年10月から2015年3月まで行われました。

2014年8月に天守がお目見えしたのを撮りました。



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