キャスリング 月山富田城編(日本100名城)

JR山陰本線安来駅から、安来市広域生活バスで月山入口を下車。

車の場合は、山陰道安来インターから南に11キロ車で20分走った所に、月山富田城があります。道の駅広瀬・富田城に駐車場があります。横の安来市立歴史資料館には、100名城スタンプが置いてあります。

資料館の横には、月山(標高197m)に築かれたお城の全貌が分かる模型があります。縄張りや陣形など全体像を掴みましょう。

安来市立歴史資料館の横に小さな道があります。車で上ると上にも駐車場があります。

足に自信が無い方や時間を節約したい方は上に停める事をお勧めします。但し工事をしている可能性があり、状況が変わっているかもしれないのでご確認下さい。(2018年12月)

平安時代に平景清が富田荘に来て、築城したとの伝承がありますが詳しい事は不明です。1163年~1189年頃に築城されたと推定されています。

駐車場からキャスリングスタートです!本丸まで760mです。

1221年 承久の乱の戦功で、佐々木義清が出雲・隠岐の守護となり、月山富田城に入城します。

山中御殿の周りの石垣が見えてきました。

1343年 佐々木高氏(道誉・京極氏)が守護となり、吉田厳覚が守護代となりますが、山名時氏を戦い月山富田城は山名領になります。

山中御殿には、地図や案内板が整備されています。

1391年 山名満幸が明徳の乱で敗北し、京極氏が再び守護となります。

大手門から本丸へ向けて上っていきます。

1392年 京極高詮は甥の尼子持久を守護代とします。

七曲の途中では、途中で親子観音があります。

1484年 守護代尼子経久は所領横領により追放され、塩治掃部介が守護代となりますが、1486年にお城を奪還し勢力を拡大していきます。

途中には、山吹井戸あります。

1543年 大内・毛利軍に攻められますが、尼子国久らは撃退します。

山頂辺りの石垣群が見えてきました。

1552年 尼子晴久は、足利義輝や朝廷から山陰山陽八か国の守護に任命されます。

月山の山頂には最後の砦である本丸、二の丸、三の丸があります。まずは三の丸です。

1565年 毛利氏から攻められ包囲されます。籠城戦となりますが、翌年に尼子義久は開城します。城代として、毛利氏家臣の福原貞俊、口羽通良が入城します。

二の丸には鳥居と井戸跡らしきものがあります。

1569年 尼子氏家臣の山中幸盛らが月山富田城を攻めますが、落ちませんでした。

小早川隆景、吉川元春、毛利元就の毛利軍と尼子軍の攻防図があります。

1591年 吉川広家は、豊臣秀吉から東出雲・隠岐・西伯耆12万石を与えられ入城します。

二の丸と本丸の間は深さ7~8mの堀切があり分断されています。

1600年 関ヶ原の戦い後、吉川広家は岩国城に転封となり、堀尾吉晴、堀尾忠氏が入城します。

本丸には紅葉のじゅうたんがあり秋の装いでした。

1611年 堀尾忠晴が松江城に入城し、月山富田城は廃城となります。

本丸には、「山陰の麒麟児」と呼ばれた、尼子氏家臣の山中幸盛(鹿介)の石碑があります。尼子十勇士の筆頭として、尼子家再興の為に尽力した人物です。「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」の逸話が有名ですね。

山頂奥の本丸には尼子家代々の守り神である大国主命が祀られた勝日高守神社があります。

山頂から見渡すと、北東方面には日本海と中海、南方面には山陽地方と、海陸交通の要衝の地であった事がうかがえます。他にも製鉄地帯、農業地帯など重要な場所でありました。

三の丸の石垣を見て下山します。階段など整備はされていますが、歩きやすい靴が良いと思います。

塩谷口と呼ばれる搦手門になります。

塩谷口の裏は堅固な石垣になっており、尼子経久はここから攻めて城を奪還したとされています。

往復2.4キロ、43分のキャスリングでした。

(おまけ)

月山富田城から約3キロ、車で10分走ると、日本庭園米紙15年連続日本一の足立美術館があります。入館料は大人2,300円と高めですが、一回は行きたい美術館です。

横山大観、上村松園などの日本画、北大路魯山人の名作も鑑賞する事ができます。

毛利氏が尼子氏を攻略する際に本陣があった勝山を借景とした日本庭園は有名ですね。時間があれば、月山富田城から近いのでセットで行ってみて下さい。



シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする