キャスリング 掛川城編(現存御殿4城・日本100名城)

JR東海道本線、東海道新幹線掛川駅から北に1キロ、15分歩いた所に掛川城跡があります。

車の場合は、東名高速道路掛川インターから北に2.3キロ、8分ぐらいで大手門駐車場があります。30分100円でした。

大手門駐車場から70mで大手門があります。

掛川城の大手門は二層式の重厚な櫓門でした。沈下防止の為、基礎工事には根固めなどの工夫がされていました。

1497年~1501年 現在の掛川城から東に500mの所に、駿河の守護大名今川義忠は、遠江支配の拠点として、家臣の朝比奈泰煕に掛川古城を築かせたのが始まりとされています。

1512年~1513年 掛川古城では手狭になったので、現在の地に掛川城ができます。

大手門から西に100m歩くと、逆川の橋があります。この辺りは、懸河と呼ばれていたのが地名の由来です。

橋を渡ると、1644年(正保年間)の絵図があります。天守丸、本丸の周りには、三日月堀、十露盤堀のお堀に囲まれ、堀の外側に二の丸、三の丸があり厳重な防御態勢である事が分かります。

看板絵図や看板があるので、城の大きさ、見どころ、周るルートを確認します。

掛川城天守閣と御殿の入館券は大人320円でした。

1560年 桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれました。今川義元の子、今川氏真は甲斐の武田氏に駿河を追われ、掛川城に立て籠もります。

三日月堀は深さ8mあったそうです。

三日月堀の横にある階段を上ると、四足門があります。本丸に通じる重要な門ですが意外とシンプル構造の門です。

掛川城に立て籠もった今川氏真を徳川家康は長期に攻めました。最終的には、今川氏真の無事を条件に開城します。

太鼓櫓跡の横を通り、入城券を買います。

開城後、徳川家康の領有となり、家臣の石川家成が入城します。

腰石垣や玉石積みの側溝などが遺構として発見されています。

階段を上ると腰櫓台跡があります。天守が近づいてきます。

天守下門跡は、二層の櫓門がありました。冠木門をくぐります。

徳川家康は今川氏真が立て籠もる掛川城を攻めた際に、井戸から立ち込めた霧が城を包み、家康軍の攻撃から城を守った伝説のある霧噴き井戸です。

掛川城は、絵図などを参考に1993年に三層四階の木造で再建されました。

1590年 豊臣秀吉が全国を平定すると、徳川家康を江戸に異動させました。徳川家康領地には、豊臣秀吉家臣の大名を配置し山内一豊が入城します。青森ヒバを使用した木造天守は良い香りがします。

山内一豊は掛川城を拡張を行い、近世城郭として整えていきました。

1階は鯱や狭間、武者隠しなどが展示されています。

1600年 関ケ原の戦い後、山内一豊は高知に異動となり、松平定勝、安藤直次、青山幸成、松平(桜井)忠重、小笠原長煕など多くの譜代大名が入城します。

天守から南を見ると掛川駅と東海道新幹線が見えます。

最終的には、江戸城を築城した太田道灌一族の太田氏が入城します。

白漆喰塗籠の下は何層にも土、砂を塗っています。

掛川城から南に10キロ地点の高天神城は、最後まで徳川氏と武田氏が攻防を繰り広げました。掛川城の周りには、重要な城、砦が幾つかあります。

天守の下には、掛川城御殿があります。ここが掛川城の一番の見どころと言えます。現存の本丸御殿は、高知城、河越城。二の丸御殿は掛川城、二条城になります。(城郭検定二級出題)

入口には、徳川家康公所用の具足が出迎えてくれます。現存御殿なので柱や長押などに風合いがあります。(重要文化財)

1854年 安政の東海地震で御殿が倒壊し、1855年~1861年にかけて、当時の城主太田資功により再建されました。

掛け軸のある御書院上の間は、城主の対面所になります。違い棚、天袋など美しく配置されています。

左には松平忠喬の甲冑、中央には太田資俊の甲冑があります。フラッシュ撮影は禁止なので注意して下さい。

1871年 廃藩置県以降は、で学校や役場、市役所などに使用されてきました。

二の丸御殿から見る掛川城が一段と美しいです。

おにぎりの形をした起り破風と蕪懸魚が美しいです。今川、武田、徳川と時代の寵児がせめぎ合った重要な地でした。御殿は20部屋あり、時間をかけてじっくりと見た80分のキャスリングでした。



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