キャスリング 増山城編(続日本100名城)

JR城端線油田駅から東に7.4キロ、90分歩いた所に増山城跡があります。

車の場合は、北陸自動車道高岡砺波スマートインターから東に6キロ、15分で増山陣屋があります。増山陣屋には、無料の駐車場、トイレ、休憩所、パンフレット、続100名城スタンプのシールなど整備されています。

続100名城スタンプが現物ではなく、スタンプシールとして用意されています。本物のスタンプを押したい方は、砺波市埋蔵文化センターに置いてあります。

増山陣屋から和田川ダム方向に歩くと、看板があります。

砺波市の増山城は、魚津市の松倉城、高岡市の守山城とならび、越中三大山城に数えられます。ダムの上を歩き向こう岸に向かいます。

1363年 南北朝時代に、前身の和田城として現れますが、正確な築城年、築城主が分かっていません。

お城らしい門が出てきました。

地図で全体像を把握し、ルートを決めていきます。お城に北側(ダム側)から南に向かうルートです。

春風亭昇太さんのますナビを聞きながらキャスリングスタートです!緩やかな遊歩道を登っていきます。

1543年 越中守護畠山氏の守護代として神保長職は富山城を築城しました。富山城の支城として増山城を重要拠点としていましたが、上杉謙信により富山城を攻められた後、増山城に立て籠もりました。

大手口とされる場所です。

大手口の推測理由として、堀切(尾根を断ち切り、敵の侵入を防ぐ空堀)があることが考えられます。

1576年 上杉謙信は、七尾城を攻める途中で増山城を攻略しました。

さらに進むとF廓があります。進んできた道(ダムからのルート)からの敵の侵入を押さえる目的だと考えられています。

更に上には、E廓(馬之背ゴ)があります。南から七曲がりルートからの侵入を押さえ、もう一つはダムルートからの侵入を押さえます。ここで道が二つに分かれます。

1581年 織田信長の越中攻めで増山城が焼き払われました。

左に曲がり進むと又兵衛清水が出てきました。

又兵衛清水から、道がさらに二手に分かれます。左手は馬洗い池、右手は二ノ丸になります。小高い二ノ丸の側面に石垣跡があり、二ノ丸に向かいます。

二ノ丸には隅櫓が二つあるとされ、虎口も存在します。

1585年 佐々成政の越中平定後、増山城を普請しました。しかし豊臣秀吉の越中侵攻で佐々成政は降伏し、前田氏の領有となり家臣の中川光重が入城します。

二ノ丸にある神水鉢です。

二ノ丸から南には無常と呼ばれるひょうたん形の廓があります。竪堀群が存在し、守りとして重要な廓でした。

無常から北に向かうと一ノ丸です。廓上からは、北からのダムルート、西からの七曲ルートからの道を見下ろす事ができる重要な廓です。

一ノ丸の北側は、切岸(自然の斜面を削り、人工の絶壁)があり圧巻です。

1615年 一国一城令で廃城となります。

増山陣屋の駐車場から、往復2.5キロ、約60分のキャスリングでした。増山城を中心として亀山城や砦などを構成した増山城郭群は巨大な山城でした。

続100名城スタンプのある砺波市埋蔵文化センター「しるし」です。入館は無料です。



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