キャスリング 富山城編(続日本100名城)

富山地方鉄道市電丸の内駅から東に350m、4分歩いた所に富山城があります。

車の場合は、北陸自動車道富山インターから北に4.2キロ、15分走ると富山市営城址公園駐車場があります。(画像は城址公園駐車場と利用料金です)

1543年 越中守護の畠山氏の守護代として、東部を椎名氏、西部を神保氏が担当していましたが、椎名氏の富山辺りを狙っていた神保長職(じんぼながもと)が、家臣の水越勝重に命じて築城したと言われています。

1560年 神保長職は、椎名氏を支援する上杉謙信から攻められ富山城を追われます。

市指定文化財の千歳御門は、総欅造りの三間薬医門で江戸時代の城門です。

富山城は、上杉氏と一向一揆衆のせめぎ合いが続きました。

彦根城や犬山城を模した模擬天守の富山城は郷土博物館になっています。

1578年 神保長職の子、神保長住は織田信長に支援されて入城します。しかし家臣の裏切りに遭い失脚しました。その後、佐々成政が入城します。

入館料は大人400円です。博物館で富山の歴史を勉強します。

佐々成政は富山城の大改修を行いました。しかし1582年本能寺の変で、後ろ盾の織田信長を失い、豊臣秀吉から離れました。

1585年 豊臣秀吉の富山攻め(富山の役)で佐々成政は降伏し、富山城は破却されました。

郷土博物館を出て南に向かうと鏡石があります。

前田氏は越中を与えられ、前田利長が大規模改修を行い、金沢城からの隠居城としました。大火で焼け落ち、一国一城令もあり一旦廃城となりました。

1639年 富山藩分藩に伴い、初代藩主前田利次が入城し、富山前田氏13代の居城となり、明治になり廃城となりました。

関東勢と関西勢の分水嶺として翻弄された富山の歴史が分かった60分のキャスリングでした。

(おまけ)

富山城から南に800m、10分歩いた所に富山ブラックらーめんの元祖、西町大喜があります。なかなかパンチのあるらーめんでした。



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