キャスリング 松坂城編(日本100名城)

JR紀勢本線、近鉄山田線松阪駅から西に1.1キロ、15分歩くと松坂城跡に着きます。

車の場合は、お城の北東側(市営グランド側)に無料の松阪市駐車場があります。

駐車場の道沿いを南東方向に歩きキャスリングスタートです!歩いていくと絵図や地図の看板が出てきます。

1584年 近江国日野城から蒲生氏郷は、伊勢国12万3千石を与えられ松ヶ島城に入城します。

1588年 蒲生氏郷は、松ヶ島城の城下が手狭になったので松坂城を築城しました。標高38mの丘陵(四五百森 よいほのもり)と呼ばれています。

松ヶ島城下町の住民を移住させ、近江国日野町の近江商人を中心部に呼び寄せ日野町として楽市楽座を設け、城下町として発展させました。

本瓦葺き二階櫓門があった表門跡です。進むと登録有名文化財の歴史民俗資料館があります。

蒲生家に吉祥をもたらす「松」と豊臣秀吉の大坂の「坂」の字を併せて「松坂」と名付けました。

ここに日本100名城スタンプが置いてあります。今日は入館無料でした。

民族資料館は、お城の事だけでなく、商人の街として発展した展示もあり、歴史が学べます。

伊勢参りの参宮街道は海岸沿いを通っていましたが、松阪に通らせる事で人の往来も増えていきました。多少強制があるものの街づくりとしても、手腕を奮いました。

1590年 蒲生氏郷は、小田原征伐で軍功をあげたので、陸奥国会津若松城60万石を与えられ異動しました。その後、服部一忠が入城します。

資料館を出て進むと助左衛門御門跡があります。坂道を登っていきます。

1595年 服部一忠は、豊臣秀次事件の責任を取る為自害しました。その後、古田重勝が入城します。その後古田氏が治めます。

坂道を登ると本丸(下段)になります。目の前に金ノ間櫓跡の石垣が見えてきました。本丸(下段)の東側は月見櫓跡になります。二層の櫓で両側には多聞櫓もあったそうです。

1619年 古田重治は大坂の陣で軍功をあげ、石見国浜田城に異動になりました。南伊勢は、徳川頼宣の紀州藩の藩領となりました。

石階段を上ると本丸(上段)になります。先ほどの天守台のような石垣だった金ノ間櫓跡です。二層櫓でした。

紀州藩領となっても城代が置かれましたが、櫓や門などの建物は放置されたので、台風などで倒壊し、以後は天守台が残るのみとなったようです。

本丸(上段)の広場は、兵部屋敷跡でした。向こう側に一段上がった石垣が天守台になります。天守台の隣には敵見櫓と多聞櫓が続いていました。

天守台には、三重五階望楼型の天守閣がありました。天守台から南を見ると、きたい丸があります。

敵見櫓跡や多門櫓跡など、当時の状況を想像してみます。

梯郭式なので本丸が奥にある形式ですね。本丸跡には井戸があります。

お城西側のきたい丸から堀坂山(標高757m)などが見えます。石垣も結構高いです。

本丸上段から本丸下段に下り、南に行くと中御門跡があります。右手には隠居丸と本居宣長の旧宅があります。

太鼓櫓跡から下を見ると裏門になり、虎口になっているのがよく分かります。

裏門跡の東には二の丸跡があります。

1794年 二の丸に紀州藩の陣屋が建てられました。その後、紀州藩領として明治維新を迎えました。

二の丸から本丸下段の石垣です。上にいる間は気づきませんでしたが、結構高さがあります。蒲生時代の野面積みと江戸時代の打ち込みハギ(二の丸東側の石垣)が混在しています。

織田信長、豊臣秀吉から信頼された蒲生氏郷は、武将としてだけでなく街づくりとしての能力も認められていた分かった、60分のキャスリングでした。



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