キャスリング 駿府城編(日本100名城)

JR静岡駅から北に1キロ、15分歩いた所に駿府城跡があります。

車の場合は、お城北東側の静岡市民文化会館の駐車場を利用します。

駿府城の南東側の三層二重の巽櫓、東御門からキャスリングスタートです!

駿府という名は、駿河国の国府が置かれた場所として、駿河国府中が略された名前です。

14世紀 駿河の守護今川氏の居館が築かれ、今川義元の時代には人質だった徳川家康は、12年間駿府で過ごしていました。

1585年 徳川家康は、駿府城を築城し浜松から移動しました。

三の丸から二の丸への東御門橋を渡り、虎口になっている東御門をくぐります。

1590年 小田原征伐で後北条氏滅亡に伴い、徳川家康は江戸に異動になります。駿府城には中村一氏(かずうじ)が入城します。

枡形門になっている東御門は高麗門、櫓門、多聞櫓で構成されています。

1601年 徳川家康の異母弟の内藤信成が城主となります。その後長浜城に異動。

櫓門をくぐると二の丸になり駿府城公園として整備されています。公園内地図を見て全体像を把握します。

1609年 徳川家康の十子 徳川頼宣が城主となります。

東御門・巽櫓の切符売場には、日本100名城スタンプが置いてあります。(もう1ヶ所は坤櫓です)東御門・巽櫓だけだと大人200円です。坤櫓、紅葉山公園セット券で大人360円です。

1616年 徳川家康、75歳で死去。

東御門の中は詳しく勉強できるような展示がされています。

1619年 徳川頼宣は和歌山城へ異動となります。

駿府城絵図を見ると、三重の堀の輪郭式が分かります。天守は六重七階などと言われていますが、正確な図面が無いので詳細な事は不明です。

1624年 徳川秀忠の次男 徳川忠長が城主となります。京都の宇治茶を、徳川将軍家に献上する為の行列がありました。お茶壺道中と言われています。

1632年 徳川忠長が乱心し高崎城で自刃します。その後駿府城は幕府直轄領(天領)となり城代が置かれます。

今川氏人質時代の徳川家康が勉強していた部屋の復元です。実際には臨済寺にあり、今川義元の軍師の雪斎和尚から学問を学んでいました。

1635年 城下の火災で延焼し大半が焼失しました。その後櫓、御殿など再建されますが、城主がいないので、天守は再建されませんでした。

巽櫓を出てすぐの所にある本丸堀(内堀)です。一部打ち込みハギの石垣が見えます。公園の中央には鷹狩り姿の徳川家康像です。

城代には、松平氏、大久保氏、青山氏、酒井氏、板倉氏、本多氏、北条氏、浅野氏、戸田氏、堀田氏、諏訪氏などが歴任し、老中として大手門守衛、久能山の代拝などを任されていました。

家康像の北には、天守台発掘現場があります。現在も調査中です。南西には坤櫓があります。

1868年 江戸城開城に伴い、徳川慶喜は寛永寺から水戸、駿河の宝台院で謹慎します。宝台院は、静岡駅近くで歩いて15分ぐらいです。徳川家達が駿府藩主となりますが、その後の廃藩置県になります。

帰りは巽櫓と坤櫓の中央にある二の丸御門跡広場からでました。内堀を渡ると静岡県庁(1937年竣工)があります。

外堀を渡ると、静岡市役所(1932年竣工)などレトロな建物が多くあります。県庁の東館の下には、クランク状の大手御門跡があります。

天下普請で築かれた駿府城は、中に庁舎がある事や石垣や堀の雰囲気など、どことなく福井城に似ていると思いました。60分のキャスリングでした。北側の堀や紅葉山庭園は行く時間が無かったので、またゆっくり来たいです。



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