キャスリング 宇和島城編(現存天守12城・日本100名城)

JR予讃線宇和島駅から南西に約800m歩いて12分、車では松山自動車道から無料の宇和島道路の宇和島朝日インターを降りて1.5キロ、7分走った所に宇和島城があります。

登城口は2か所で、南側の上り立ち門と北東側桑折長屋門(こおりながやもん)があります。

今回は北東側の桑折長屋門に駐車場が隣接していましたので、そこに車を停めて登城します。

石の階段を登り10分ほどで本丸に到着します。

941年 警固使の橘遠保がここに砦を造ったとされています。

1236年 西園寺公経が現在の城山に砦を築きました。

2回目のキャスリングは、南側の上がり立ち門からスタートしました。

上がり立ち門はの薬医門形式で最大級の規模です。建築時期が特定されていないですが、藤堂時代の建築時期の可能性があり、重要文化財級です。(市指定有形文化財です)

1546年 家藤藍物が城主となり、大友氏、長宗我部氏から攻められますが、持ちこたえました。

上がり立ち門をくぐり進むと石垣が見えて奥に、代右衛門丸の高石垣が見えます。さらに進むと式部丸になり、石垣が目の前に立ちはだかり、圧巻です。

1585年 豊臣秀吉の四国征伐により、伊予国は小早川隆景の所領となります。持田右京が城代となりました。

登城路に戻り進むと長門丸に着きます。配水池や公園、管理事務所があります。さらに上がります。

1587年 小早川隆景が筑前国に異動となり、大洲城に戸田勝隆が入城し、戸田与左衛門が宇和島城城代になります。

二の丸に上がる為の三の門跡をくぐり二の門跡をくぐると二の丸です。一の門跡をくぐると本丸になり天守がお出迎えです。

1595年 藤堂高虎が宇和郡7万石を拝領し入城しました。翌年、築城を開始し望楼型で建造しました。

1601年 関ヶ原の戦い後、藤堂高虎は今治に異動となりますが、城の完成を見届けた後に移りました。

1608年 富田信高が伊勢国より入城しましたが、1613年改易となり宇和郡は徳川幕府直轄地となります。

本丸には、御台所の礎石が残っています。

1614年 伊達正宗の長男で大坂の陣で武功をあげた伊達秀宗が入城します。伊達10万石の城下町となります。

入城料は大人200円です。窓口の左手に日本100名城スタンプが置いてあります。宇和島城模型や伊達家肖像画、甲冑が展示してあります。

1662年 伊達宗利は大改修に合わせて、層塔型に改修しました。

天守閣からの眺望です。宇和海のリアス式海岸に囲まれ地形を活かした縄張りである事が分かります。山側を見ると神田川などの扇状地の地形で山に囲まれています。

平成6年から始まった平成普請で石垣の修復を行っています。時間がかかる作業なんですね。修復と同時にほとんど解明されていない発掘調査もおこなっているそうです。

(おまけ)

宇和島城から車で5分、海の方に走ると、道の駅みなとオアシス宇和島きさいや広場があります。リアス式海岸に囲まれた豊かな漁場で新鮮な海鮮丼が味わえます。



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