キャスリング 苗木城編(続日本100名城)

JR中央本線中津川駅から北に6キロ、90分歩くと苗木城跡があります。中津川駅から苗木城に行く直通バスが観光シーズンや土日祝で走っているみたいなので、ご確認下さい。

車の場合は、中央自動車道中津川インターをおりて、北に7キロ、15分ぐらいで着きます。国道257号線を走っていると木曽川の橋を渡ります。橋から東を見ると苗木城跡が見えます。川の左手にあるこんもりした山です。(分かりにくいですかね・・)

車の場合は、無料の苗木城跡第一駐車場があります。朝7時なので誰もいませんでした。お城の北側にあたる風吹門(大手門)からキャスリングスタートです!

1242年 岩村城を拠点とした地頭の遠山景村は、木曽川北部を進出し始めます。

かつての苗木城という櫓がある城の絵があり、その向こう側には実物があります。初めて見ると「なんだこれは?!」という印象だと思います。

1331年~1334年 遠山景長親子は、高森山(苗木)砦を築きました。

石垣によって造成された足軽長屋跡には、稽古場など数棟立ち並んでいました。龍王院跡では、領主遠山家の祈祷所がありました。

1532年~1555年 遠山正廉が高森に苗木城を築きます。

ポストの中には苗木城のパンフレットがあるので頂きました。パンフレットには、苗木城にある6タイプの石垣の解説があります。早速、打込石整層積みの石垣です。

1574年 武田勝頼が東濃に侵攻し、苗木城など多くの城を落城させます。

うずまき型をした苗木城跡はジブリ映画の何かを彷彿させます。ノミ切り加工整合積みの石垣は出迎えてくれます。

1575年 織田信忠は岩村城を落とし東濃を奪還します。

二の丸の一段下がった所に的場跡(弓道場)があります。

1583年 美濃兼山城主森長可が苗木城を攻め、落城させます。遠山友忠、友政親子は徳川家康を頼り浜松に行きました。

天然の巨石と人工の石垣が融合した稀有なお城です。

1599年 森氏は信濃川中島に異動となり、織田家臣の川尻秀長が苗木城主となります。

お城の北側に移動し、三の丸にある大矢倉(櫓)跡です。この矢倉台だけでも、なんとも言えない可愛さがあります。

1600年 遠山友政は徳川家康の命で苗木城を奪還し、その後苗木藩が成立します。

苗木城最大の櫓は三階建てでした。

その後、遠山友政は大坂の陣で武功をあげ、1万石を安堵されます。しかし小藩の為、財政状況は厳しく倹約令など出しますが、大坂の警備など出費も多くなかなか改善しませんでした。

大矢倉の東、お城の北側にある駈門跡です。四十八曲がりと呼ばれる登城ルートです。

苗木城の中で一番大きな門は、二の丸と三の丸を仕切る二階建ての門でした。

ちょっと見にくいですが、御朱印蔵には将軍家から与えられた朱印状や重要書類などが保管されていました。

綿蔵門は16時になると扉が閉められ本丸には進めませんでした。年貢の綿が保管されていたので、このような名前になりました。登城路を折り返すと、坂下門がありました。

菱櫓門跡からは、三の丸の大矢倉が見えます。ここからの角度も良いです。

登城路の折り返しには、千石井戸があります。どんな日照りでも枯れない水は千人の用を賄えました。その先には、本丸と二の丸を仕切る本丸口門がありました。井戸の東側は懸造り蔵が並んでいました。土地が狭いこのお城ならではの造りでした。

ここらへんの石垣は薄い石を使った、初期の野面石乱層積みです。

長さ16m、奥行き6mの土蔵の武器蔵と具足蔵跡です。天守展望台が見えてきました。

最後の折り返しには玄関口門で、通常は鍵がかかり目付役が管理していました。

本丸玄関は、懸造りの千畳敷を通り南東側から天守台に入りました。天守の建物は三層で、岩をまたがるように柱穴がと柱と梁が組まれていました。梁は三階部分の床面を復元しています。

東西を流れる木曽川と南東方向には、恵那山が見えます。天守からの眺望は素晴らしく天然の要害と人工の建造物との融合です。木曽川と天守跡の高低差は約170mです。

現在の城主はショウリョウバッタでした。懸造りの特徴である石穴と柱は見ていてヒヤヒヤします。

巨石と石垣が融合した苗木城と素晴らしい眺望に興奮しっぱなしです。ここらへんは切込石整層積みです。

天守台南の下にある巨石は花崗岩です。水源を絶たれても岩の上で馬を洗えるぐらいの水があるよと見せつけ敵を欺く事から馬洗岩と言われています。

馬洗岩の隣には、笠置矢倉跡があります。一層の櫓に見えますが実際は、三層の懸造りでした。笠置山が正面に見える事から、この名が名づけられています。振り返ると巨石と天守台と石垣のお城は、やっぱり変わっています。

三の丸の大矢倉の奥にある北門は土塀で奥に進むと家臣の屋敷群跡につながっています。

風吹門は大手門で城下から三の丸の入り口にあたります。紹介が後になったのは、違う砂利道から登城したので、本来はここから入ると分かりやすかったですね。

風吹門(大手門)を通り、石穴と谷積みの石垣を見ながらお別れです。

1861年 最後の苗木藩主遠山友禄は、改革を行いますが破綻しました。藩の借金は苗木城の破却、武器などの売却などを行い、明治維新を迎えます。

枡形になっている登城路を抜ければ駐車場です。最初に紹介していなかったですね。

小規模ながらもトリッキーでファンシーな造りの苗木城は多様な石垣がある石垣ミュージアムでもありました。あっという間の2.7キロ、100分のキャスリングでした。

第一駐車場から100m下がると、苗木遠山資料館があります。ここから登城する人もいるみたいです。

続100名城スタンプとパンフレットが置いてありますので、ここに寄ってからお城の全体像や歴史を把握した上で登城した方が良いかもしれません。



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