キャスリング 多賀城編(日本100名城)

JR東北本線国府多賀城駅から北に1.2キロ、歩いて17分の所に多賀城跡があります。

車の場合は、三陸自動車道多賀城インターから北東に1.1キロ、3分ぐらいで、多賀城跡無料の駐車場です。駐車場は北と南にありますが、続日本100名城スタンプが北の多賀城跡管理事務所に置いてあるので、北の駐車場に停めました。目の前に管理事務所がありスタンプを押しました。

724年 奈良、平安時代に陸奥国(東北地方)の国府と鎮守府を兼ねて置かれていたのが多賀城で、政治、軍事、文化の拠点として創建されました。(城郭検定2級出題)

特別史跡の多賀城や古墳群、貝塚、遺跡など旧石器時代から近世にかけての歴史が揃っています。北側の駐車場からなので、政庁の裏側からキャスリングスタートです!

奈良盆地を拠点とする大和朝廷は、東北の蝦夷対策の為に軍事拠点として多賀城を松島丘陵に設置しました。まずは政庁跡で、一辺が100mの築地塀で囲われていました。

階段と基礎(基壇は復元)の上には政庁正殿跡と東側には政庁東殿跡がありました。

政庁南門跡です。東西には門を飾る為の翼廊がありました。

多賀城の前身として郡山遺跡がありました。802年 坂上田村麻呂の蝦夷討伐に伴い、鎮守府は胆沢城に移動しました。

ただの丘陵地帯ですが、奈良の朝廷が九州の大野城や大宰府、東北の多賀城など広範囲でマネージメントをする事自体が驚きです。724年の創建時からの政庁の変遷の看板です。

780年伊治公呰麻呂(これはりのきみあざまろ)蝦夷指導者による乱で、焼き討ちに遭い再建しています。

869年 貞観地震により再建されながらも、徐々に衰退していきました。貞観地震は、2011年東北太平洋沖地震と同クラスの地震と言われています。

北から南方向を見ると下り坂になっていますが、政庁の南大路跡になります。

北側の駐車場から約400mで南側に着きます。南門跡と築地塀がありました。

多賀城にとって重要な石碑が記されているので、重要文化財に指定されています。

①平城京(奈良県)から多賀城(宮城県)の距離が記されていること           ②724年 大野朝臣東人が多賀城を設置したこと                    ③762年 藤原恵美朝臣朝獦が多賀城を修造したこと                  ④碑を建てた年月日

江戸時代に訪れた松尾芭蕉は、「おくのほそ道」でこの石碑を感動を書き記しています。後世に何かを伝えたいという気持ちは、いつの時代でも一緒ですね。

駐車場から往復1.2キロ、約50分のキャスリングでした。



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