キャスリング 山形城編(日本100名城)

JR奥羽本線(山形新幹線)山形駅から北に600m、10分歩くと山形城南大手門跡に着きます。

車の場合は、山形城跡のある霞城公園北側から入り、無料の駐車場があります。駐車場から南に歩くと二の丸東大手門があります。東大手門櫓には、日本100名城スタンプがあります。

駐車場から南に歩くと二の丸東大手門があります。東大手門櫓には、日本100名城スタンプがあります。山形城の日本100名城スタンプは3ヶ所に置いてあります。①二の丸東大手門櫓 ②山形市郷土館 ③最上義光歴史館 です。

無料で入れる東大手門櫓内は、パンフレットやパネル、出土品展示をしています。

1356年 斯波兼頼が羽州探題として宮城県から山形に入り、山形城を築きました。子孫は地名からとって最上氏と名乗りました。

1546年 10代当主最上義守は、事実上伊達氏に従属していましたが、山形市の長谷堂城を奪還し伊達氏からの独立をし始めた頃最上義光が誕生します。

1564年頃 最上義守の娘、義姫を伊達輝宗に嫁がせ、1567年に伊達正宗が産まれました。

二の丸東大手門を出るとお堀沿いに山形新幹線が走っています。

1991年に再建された二の丸東大手門の高麗門と櫓門をくぐります。櫓門の冠木は、節の少ない国産材を調達するのは難しく、台湾檜が使用されました。立派な櫓門は、映画の超高速参勤交代のロケにも使われました。

1600年 関ヶ原の戦いで最上義光は徳川家康に味方し武功を上げたことで、57万石を与えられます。北の関ヶ原と言われる「慶長出羽合戦」は西軍の上杉景勝と東軍の最上義光・伊達政宗の戦いで東軍が勝利しました。

東大手門の前にある最上義光の像は、全国に数ある像の中でも、個人的には一番カッコいいと思います。

本丸御殿の方に行くと、石垣の解説があります。最上義光が築城した際には、石垣は使われていませんでした。

1622年 最上氏が改易となり、鳥居忠政が山形藩主になります。徳川氏の譜代大名として、伊達政宗などの監視する役目を担っていました。鳥居氏が入城した際に、石垣が築かれたと言われています。

1855年(安政二年)の石垣石は、城主水野氏時代のものです。

二の丸から本丸へは2つの入り口があります。大手あたるのが「本丸一文字門」です。大手橋を渡り、高麗門をくぐり枡形に入ります。枡形土塀と一文字櫓に囲われる形です。

1636年 徳川秀忠の四男の保科正之が山形藩主となります。名君として名高いですね。

南に歩くと山形市郷土館があり、重要文化財です。1878年に県立病院として建てられ、三条実美により「済生館」と名付けられました。ここにも100名城スタンプが置いてあります。16時30分過ぎており、既に閉館していました。

1644年 徳川家康の孫、越前松平氏の松平直基が入城します。その後、奥平氏→堀田氏→大給松平氏→秋元氏→水野氏と藩主がたびたびと変わります。

南東側の巽櫓跡と死角をなくす横矢です。

南大手門まで来ました。県体育館や武道館が近くにあります。

江戸中期以降は、石高の減少などで城の維持が難しくなり本丸は更地になり田畑になっていたそうです。石垣は取り壊され、昭和54年に修復しているそうです。

南大手門からまた御殿に戻ります。本丸堀の発掘調査の際、堀底から石垣が出土しました。一文字櫓台石垣が一部崩落して底に落ちた石と推定されます。

山形藩主は目まぐるしく変わりますが、東北の軍事拠点として幕府の信頼が厚い大名が置かれていた事が分かりました。約60分のキャスリングでした。

(おまけ)

山形駅前の山形長屋酒場で、地酒と芋煮に舌鼓。クライマックスはみんなで花笠音頭。旅情あふれる居酒屋さんでした。



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