キャスリング 岡山城編(日本100名城)

岡山駅東口から東に2キロ歩いて25分、岡山電気軌道の路面電車だと岡山駅前駅から東山線2駅目(清輝橋方面ではありませんので注意!)の城下駅で降りて10分歩くと岡山城があります。

車だと近くに有料駐車場あります。(20台分ぐらいです)南側の目安橋から入城します。

目安橋を渡ると右に烏城公園の案内があります。岡山城の外観が黒塗りのなので別名烏城と呼ばれています。奥に進みます。

岡山城の大手門にあたる内下馬門です。正門としての権力を示す為に巨石が使われています。高さ4.1m、幅3.4mの石は関ケ原直後に池田氏が築いたと言われています。

石段を上ると鉄門(くろがねもん)跡の石垣があります。奥の突き当りには大納戸櫓跡があります。城内最大の三重四階建て櫓がありました。主に書類や道具類が保管されていました。

そして本丸の入り口として不明門(あかずのもん)があります。明治の廃条令壊されましたが、1966年に鉄筋コンクリートで再建されました。

そして本丸に入り目の前に美しい岡山城があります。その右側には川手(旭川)に通じる門の六十一雁木上門があります。

1945年 岡山大空襲で天守閣は焼失しました。

1966年 鉄筋コンクリートで再建され、本丸中央には天守閣の礎石が移されています。

天守閣の入城料は大人300円です。中は展示室になっており、岡山の歴史が学べます。天守閣からは金の鯱を間近に見ながら景色を眺める事ができます。

撮影禁止の場所もあるので注意して下さい。着替えて御殿様、御姫様の気分を味わえたり、駕籠に乗ったり、備前焼の陶芸体験など様々な楽しみもあります。

天守閣の左側(西側)には、本丸中の段に通ずる坂道があります。中の段に行くと表書院があり岡山藩の政治が行われていました。

南北朝時代の1346年頃に上神高直が城を築いたと言われています。1521年には金光氏が居城としました。1570年には宇喜多直家がこの地を支配し、岡山城の横にある石山城に入城し、城下町を造っていきました。

宇喜多直家の子、宇喜多秀家は豊臣秀吉の下、57万石の大名となり1591年から岡山城を改修しました。その当時の石垣が展示されています。

宇喜多秀家は秀の字を豊臣秀吉からもらうほど可愛がられていました。中国攻めや備中高松の戦いでも協力したからでしょうか。しかし1600年の関ケ原の戦いで西軍につき宇喜多家は改易となります。その後小早川秀秋が城主となりますが、1602年急死し小早川家は断絶しました。

その後姫路城城主の池田家が岡山城主となり、池田忠雄の時代に造られた月見櫓があります。

岡山城に二つあるうちの一つ目の重要文化財です。

月見櫓の横には食料庫として使われていたであろう穴蔵や台所の流しがありました。

お城の北側には廊下門があります。これまた1966年に再建されました。

廊下門をくぐると、北側からみる月見櫓と天守閣が見えます。この角度からもいい感じです。月見櫓は、城内側から見ると層塔型ですが、城外のこの角度から見ると望楼型になっています。宇喜多家の石碑と民生委員制度を創設した笠井元知事の銅像があります。

全国的にも珍しい五角系の天守台が良く見えます。

石垣は野面積みや打ち込みハギなど時代によって工法が混在しているのでチェックしてみて下さい。旭川の流れを変えながら自然の地形をうまく利用したお城です。

岡山城の西側には前身である石山城跡と石垣が残っています。

岡山城の重要文化財二つ目はここにありました。路面電車の道から見える西之丸西手櫓です。コインパーキングとビルに囲まれて可哀そうな感じです。

旧内山下小学校は岡山城の二の丸西丸で、備前岡山初代藩主池田光政の隠居跡でした。

後日、二回目の岡山城をキャスリングして新しい発見をしました。岡山城と石山城跡を歩いて約70分のキャスリングでした。

(おまけ)

後日、飛行機から見た岡山城です。旭川がU字になっている内側が岡山城で、川の外側の緑部分が後楽園です。地の利を得た所に建てた事が分かります。



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