キャスリング 白石城編(続日本100名城)

JR東北本線白石駅から西に1キロ、歩いて15分、東北新幹線伊白石蔵王駅から西に2キロ、歩いて30分の所に白石城跡があります。

車の場合は、東北自動車道白石インターから南に6キロ、10分で走った所に、無料の城下駐車場があります。白石城跡の東側で市役所の近くです。

駐車場から西側に歩いてキャスリングスタートです!お堀沿いを歩いていきます。

坂道を上っていくと白石城の看板があります。東口門は二の丸大手二の門と言っていました。1874年白石城解体の際に、門は移築され現在は、「当信寺」にあります。二階の櫓門は丸窓がついている珍しい門です。

東口門跡の札と石垣の案内があります。

明治時代の解体で上部は残っていませんが、下部に石垣が残っています。南側は野面積みで北側は切込ハギになっており、大雨や地震で積みなおされた境目があります。

白石城歴史探訪ミュージアムがあります。城内地図で全体像を把握します。

1591年 豊臣秀吉は、伊達氏の支配下にあった白石城を没収し、会津に異動した蒲生氏郷の家臣蒲生郷成に白石城築城を命じました。

1598年 会津に異動した上杉景勝の家臣甘糟景継により改修し城代となります。

奥に進むと、大手一の御門が見えてきました。奥には大手二の御門があります。

1600年 徳川家康の会津征伐で、伊達政宗に上杉景勝を討つように命じます。白石城代は登坂勝乃で白石城の戦いでは、伊達政宗に降伏します。伊達政宗の叔父石川昭光が城代となります。

大手二の御門をくぐると本丸で、本丸御殿がありました。

1602年 伊達政宗の参謀、片倉景綱が城主となります。伊達政宗に小田原参陣を決意させた豊臣秀吉の伊達氏討伐を回避させた智将として、豊臣秀吉、徳川家康からも高い評価でした。名参謀としての「小十郎」の名は17代続きます。

看板には、本丸広場ぎっしりに建てられた本丸御殿のジオラマ画像があります。

1819年 火災で焼失し、11代当主片倉宗景が再建します。

片倉家の白地黒鐘の馬印などが立てられていたとされる鐘堂です。

白石城の天守に入城します。大人400円です。他にも、天守、歴史探訪ミュージアムや武家屋敷のセット共通券があり大人800円です。

1868年 戊辰戦争の際に、東北諸藩の代表が白石城に集まり、白石列藩会議を行いました。これにより31藩が連合した、反新政府軍の奥羽越列藩同盟が誕生します。

続100名城スタンプが入り口に置いてあります。

1995年に木造で復元された天守は、木の良い香りがします。伊達政宗や真田幸村の模擬甲冑があります。

大坂の陣で豊臣方についた真田幸村は、敵方である片倉重長に子女阿梅(おうめ)を託し、白石城二の丸で養育したとされています。敵方でも信頼できる人柄が分かります。

1869年 白石城は新政府軍に占領され、新政府にくだった盛岡藩南部氏の管理下に置かれます。

3階天守から東には白石市内と東北新幹線が見えます。

解放感のある天守の3階は、住まいではなく武器等が保管されていました。

天守が出て西側の二の丸跡には、白石出身の第18代横綱大砲(おおづつ)の銅像があります。

南に向かうと馬場跡があります。西側は西曲輪や沼の丸跡、南側に南の丸跡がありますが、時間の関係で二の丸と天守を周って駐車場から往復3.5キロ、65分のキャスリングでした。

(おまけ)

白石と言えば、温麺(うーめん)ですね。素麺の一種ですが、油を使わず体に優しく、仙台藩主の伊達家から公家への贈答品でした。吉永小百合さんのJRのCMのロケ地に使われた「うーめん番所」にお邪魔しました。気さくな店主からロケ時の思い出話を聞かせて頂きました。



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