キャスリング 米沢城編(続日本100名城)

JR奥羽本線、山形新幹線米沢駅から西に2.3キロ、30分歩いた所に米沢城跡があります。

車の場合は、山形自動車道米沢中央インターから西に4キロ、13分で無料の駐車場に着きます。お城の北東側が駐車場になっていますので、看板画像でご確認下さい。

1238年 鎌倉幕府の地頭職に任ぜられた長井時広が築城したと言われています。

登録有形文化財のアーチ式石橋の舞鶴橋を渡り、本丸跡である上杉神社に入ります。

まずは観光案内所で続100名城スタンプを押して、パンフレットをもらいます。ちょっと戻ると上杉謙信像があります。米沢城下絵図を見ると、輪郭式縄張りで三重のお堀で城下町が形成されているのが分かります。

室町時代初期に伊達宗遠に侵略され、安土桃山時代までは伊達氏の支配下になります。

1548年 伊達晴宗が米沢を本拠地として城下町を形成しました。

1567年 16代当主の伊達輝宗と最上義守の娘の義姫との間に、嫡男の伊達政宗が米沢城で産まれます。伊達政宗生誕の地の石碑があります。

1578年 越後の春日山城で上杉謙信が亡くなります。その遺骸は漆塗され甲冑姿で埋葬されています。代々米沢藩主を務めた上杉家の米沢城から、西の2キロの所に、「上杉家廟所」があり、そこに埋葬されています。

1591年 伊達政宗は豊臣秀吉の命で、岩出山城に異動となります。蒲生氏郷の家臣の蒲生郷安が入城します。

1598年 上杉景勝が会津に120万石で入封し、直江兼続が城主となります。

1601年 関ヶ原の戦いで西軍に属した責任で、会津藩120万石から米沢藩30万石に減封されますが、上杉景勝、直江兼続は城下町の整備と義と愛の領国経営で270年間に渡り米沢を治めます。固い絆で結ばれた主従関係を題材にした「天地人」の像があります。

1767年 第9代米沢藩主上杉治憲が家督を継ぎました。日向国高鍋藩から養子として迎えられ、領地返上寸前の米沢藩を再生した名君として知られています。隠居後の上杉鷹山の名前の方が有名ですね。倹約、産業開発、藩校の再興など行政改革の先駆者としてケネディ大統領からも、日本の政治家で最も尊敬している人物と評されています。

1868年 第12代藩主上杉斉憲は佐幕派で、戊辰戦争が起きると米沢藩も奥羽越列藩同盟に加わりました。

上杉謙信から上杉鷹山まで義を貫く姿勢は、現代でも必要とされる要素ですね。上杉神社でお参りをしました。

1871年 廃藩置県で米沢県となり、その後山形県に編入されます。

本丸の南東には上杉謙信の遺骸を安置していた祠堂跡があります。本丸に天守は無く、三階の隅櫓が北東、北西に置かれ質素な造りでした。

幕府の目を考慮して、石垣ではなく土塁で形成されています。上杉家の伝統的な城館のあり方でした。米沢藩30万石に減封されても、会津藩120万石の家臣団を無くす事はできず、二の丸、三の丸の広大な敷地でも収まりきれませんでした。

本丸の南の二の丸には、有形文化財の上杉伯爵邸があります。米沢の郷土料理、米沢牛を頂く事ができます。

直江兼続が設計した水掘や土塁、外郭に寺社仏閣を置くことで城下町全体が要塞となるような機能をがありました。60分のキャスリングでした。

米沢牛御膳は食べられなかったので、米沢牛コロッケにしました。



シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする