キャスリング 金山城編(続日本100名城)

名鉄広美線明智駅から北に3.6キロ、車の場合は、東海環状自動車道可児御嵩インターから北に4.1キロ、17分走った所に金山城跡があります。金山城跡の北側には、可児市観光交流館があり、続日本100名城スタンプとパンフレットが置いてあります。まずはここで情報収集しましょう。

案内地図などで全体像を把握して、駐車場に向かいます。山の麓には、無料の蘭丸ふるさとの森第一駐車場があります。ここから登る方もいると思います。

さらに山道を上がると無料の出丸駐車場があります。

1537年 斎藤道三の命で斎藤正義が標高277mの古城山に築城しました。

1565年 織田信長の美濃国支配に伴い、家臣の森可成が城主となり兼山城と改称します。

金山城の防衛ラインの第一線として築かれた出丸跡です。1300㎡の出丸は野面積みの石垣で築造されており、南東には出丸櫓があったとされています。

階段を上ってキャスリングスタートです!すぐに見えてくるのは三の丸門跡です。

三の丸には、破城の痕跡があります。再び城が築かれないように徹底的に石垣を壊しますが、痛々しさがあります。

二の丸には、門、侍屋敷、物見櫓などがありました。

さらに進むと大手門の枡形があります。一の門をくぐり右手に二の門があります。犬山市瑞泉寺の表門、裏門は大手門を移築したものとされています。

枡形からさらに進むと天守台西南隅石があり、さらに登ると本丸跡に到着です。発掘調査の結果、4棟の建物(御殿)や茶室があったとされています。

1570年 森可成が宇佐山城の戦いで戦死、長男の森可隆も天筒山城で戦死し、次男の森長可が城主となりました。本丸から北側には、兼山の町と木曽川が見えます。

1582年 森長可は信濃川中島に異動となり、弟の森成利が入城しますが、本能寺の変で討たれたので、再び森長可が入城します。

本丸跡には礎石が残っています。

1600年 森氏は川中島藩に異動となり、石川貞清の所有となり犬山城の改修の為に、金山城は解体されました。(諸説あります)

本丸の東側には、石で囲った集水桝のようなものがありました。奥には、搦手の防衛ラインの東腰曲輪跡です。

搦手門跡です。細野左近という武将の屋敷があったとされています。搦手側からも米蔵跡や城下に通づる登山道あります。但し駐車場には戻れないので注意して下さい。

米蔵跡は壮大な石垣があるので、時間があれば見た方が良いと思います。

三の丸まで戻ってきました。北曲輪などの虎口あたりは、水を確保する意味で水の手とも呼ばれています。

出丸駐車場から往復1.4キロ、約50分のキャスリングでした。

駐車場から麓に行く途中に道が二股に分かれるので、駐車場ではない方に行くと大堀切があります。搦手左近屋敷の防衛施設でした。

(おまけ)

金山城から南に4.2キロ、車で15分走ると、蕎麦屋「菜実樹」があります。鴨せいろを頂きました。金山城に登って疲れた体を回復できました!



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