キャスリング 八幡山城編(続日本100名城)

JR東海道本線近江八幡駅から北に3キロ、40分歩いた所に八幡山城の麓に着きます。

車の場合は、ロープウェー乗り場、日牟禮八幡宮周辺がに無料の駐車スペースがあります。

八幡山ロープウェーの料金は、大人往復880円、子供440円です。

二の丸にあたるロープウェー山頂駅には、続日本100名城スタンプが置いてあります。散策コース地図を見てコース取りと全体像を把握します。

展望館には、簡単な歴史パネルが置いてあります。まずは本堂に向かいます。

本丸跡とされる村雲御所瑞龍寺は、豊臣秀吉の姉の日秀尼が京都の嵯峨に、処刑された秀次や秀次の一族を弔う為に建立しました。1963年に八幡山山頂に移築されました。石垣に囲まれた山門をくぐります。

1585年 豊臣秀吉が天下統一進める中、紀州征伐、四国征伐で武功をあげた、豊臣秀次は近江八幡43万石を与えられ、八幡山城を築城しました。八幡山城は、安土城に代わる近江国の拠点として、安土城の建物や城下町を八幡山の麓に移築しました。

家督を相続した豊臣秀次ですが、その後の数奇な運命をたどった豊臣秀次の冥福を瑞龍寺でお祈りします。

標高283mの八幡山に築かれたお城は、安土城より急峻で利便性も良くなかったので、麓の居館にいる事が多かったようです。総石垣造りで、北の丸や西の丸、出丸は放射状に配置されました。

本丸の周りを反時計周りで周ると、北の丸跡があります。東を見ると、観音寺城のあった繖山、その左手前に安土城のあった安土山が見えます。歴史のラインが見えますね。

大きい石垣は、ここから4キロ南にある岩倉山から運んできたと言われています。

1595年 豊臣秀吉に嫡男秀頼が誕生し、豊臣秀次は強制的に出家させられ、謀反の疑いをかけられ切腹、三条河原でさらし首になり、一族も処刑されます。(秀次事件)

京極高次は、大津城に異動となり、八幡山城は廃城となります。

西の丸跡でからは、比良山系と琵琶湖、手前には水茎岡山城の岡山が見えます。

八幡山城主豊臣秀次の宿老に田中吉政、水口岡山城に中村一氏、長浜城に山内一豊、佐和山城に堀尾吉晴、竹ヶ鼻城に一柳直末を配置して、近江国の軍事的、経済的要衝としてのフォーメーションを組みました。西の丸からロープウェー山頂駅に戻ります。

1590年 豊臣秀次は尾張国清州城へ異動となり、京極高次が2万8千石で入城します。

途中でおねがい地蔵がありますので色々とお願いしてきました。石垣には転用石があり、短期間で築城されたと思います。

1595年 豊臣秀吉に嫡男秀頼が誕生し、豊臣秀次は強制的に出家させられ、謀反の疑いをかけられ切腹、三条河原でさらし首になり、一族も処刑されます。(秀次事件)

京極高次は、大津城に異動となり、八幡山城は廃城となります。

ロープウェーで麓に戻り、日牟禮八幡宮でお参りします。131年に草建されたと言われ、その後、八幡山城築城にあたり、山頂にあった八幡宮を麓に移し合祀しました。

安土城の楽市楽座を近江八幡の地で再生させ、商業振興優先の町割りが形跡されました。近江商人の発祥の地となりました。八幡堀は防御と物流の役割を担っていました。

ここまでで60分のキャスリングでした。

(おまけ)

日牟禮八幡宮から北に1.2キロ、15分歩くと、ラコリーナ近江八幡があります。バウムクーヘンやどら焼き、カフェなどスイーツを食べてキャスリングの疲れを癒してください。



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