キャスリング 飯盛山城編(続日本100名城)

JR片町線(学研都市線)四条畷駅から東の四条畷神社から飯盛山ハイキングコースで飯盛山城を目指すルートがあります。約60分の登山です。

車の場合は、目印として大東市立野外活動センター(キャンピィ大東)を目指して下さい。この野外活動センターには、続日本100名城スタンプとパンフレットが置いてあります。ここに車を置いて歩いて飯盛山城の目指します。駐車料金200円でした。

スタンプと地図で全体像を把握し、キャスリングスタートです!まずは楠公寺を目指します。

1334年~1338年 南北朝時代に、佐々目憲法又は木沢長政により築城されたと言われていますが、はっきりしていません、南北650m、東西400mの飯盛山を中心として造られた大阪府最大の山城です。

1348年 四条畷の戦いで北朝方の足利尊氏家臣の高師直が、南朝方の楠正行(まさつら)、恩地氏の攻め、飯盛山城に籠城したとされています。

5分歩くと楠公寺があります。駐車スペースがあり、馬場跡になります。

1532年 守護の畠山氏と守護代の木沢氏の戦い「飯盛城の戦い」で籠城した木沢氏が勝利します。

石垣がちらほら見えてきました。まずは山頂の曲輪Ⅰを目指します。

1560年 木沢長政は三好長慶に討ち取られ、三好長慶が飯盛山城城主となります。この時に大規模に改修したと言われています。その勢力は西は瀬戸内海、北は日本海、東は伊勢、南は紀伊を掌握し、天下人となりました。

山頂の曲輪Ⅰには、楠正行(まさつら)の像と昭和14年に建てられた国旗掲揚台があります。楠氏が国威掲揚に利用されて時代を感じます。

1564年 三好長慶は飯盛山城、芥川山城などを拠点に畿内支配を進めていく矢先に病没しました。

曲輪Ⅱには展望台があり、標高314mの山頂から大阪市内が一望できます。ハイキングコースなのでお城目当てではなくハイカーも多いです。北側に曲輪Ⅲに向かいます。

1576年 三好三人衆などが飯盛山城を治めていましたが、織田信長に降参し畠山秋高、遊佐信教が治めますが、信長に攻められ(高屋城の戦い)で落城し廃城となりました。

さらに北に向かい曲輪Ⅳ、曲輪Ⅴ、曲輪Ⅵ、曲輪Ⅶまで続きます。

南の曲輪ⅧにはFM送信塔があります。天下人だった三好長慶は、天皇家に由来する桐の御門の使用を許され、後の織田信長、豊臣秀吉も使いたがる天下人の象徴となりました。

約3キロ、65分のキャスリングでした。



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